徳倉城跡から下山して、JR津山線野々口駅の近くにある角藤定憲(すどうさだのり)の墓に詣でた。
角藤定憲は、日本で初めて壮士芝居を興行した人物で、新派演劇の祖とされている。
壮士芝居や新派と言われても、現代人には何のことだか分からないだろう。私もそうだった。
壮士とは、自由民権運動に身を挺した活動家のことで、多くは明治に入って失職し、世の中に不平を持つに至った士族たちだった。
明治初期には、自由民権運動が盛んになり、その思想を演劇を通して普及させようとする運動が起きた。
角藤定憲が始めた壮士芝居や川上音二郎が始めた書生芝居などがそうである。
これらの劇は、歌舞伎などの旧い芝居と区別するため、新派と呼ばれた。
現代人の感覚では考えられないかもしれないが、明治時代に入っても、劇と言えば歌舞伎のことであり、口語で上演する芝居というのは、とんでもなく新しかったのである。
明治維新によって新政府が出来たが、まだ日本には憲法も議会もなく、政治は天皇と総裁、議定、参与によって行われていた。
総裁は皇族、議定は公卿と倒幕に功のあった藩の藩主、参与はそれら藩主の家臣で構成されていた。
明治新政府による政治は、倒幕に熱心だった公卿と薩長の藩主・重臣たちによる政治であり、そこに民意が入り込む余地はなかった。
土佐出身の板垣退助や後藤象二郎などはこれを有司専制と呼んで批判した。この薩長の藩閥による専制政治を打破するため、憲法と議会を成立せしめて、民意に基づいた立憲君主制を確立しようとしたのが自由民権運動である。
今では評判が悪い大日本帝国憲法だが、施行された明治22年(1889年)の時点では、アジアで初めて国会設置を定めた憲法であり、当時としては驚くほど進歩的な憲法だった。
これも、自由民権運動家たちが、憲法と議会に基づく政治をするよう訴え続けた結果である。
角藤定憲は、慶応三年(1867年)に、備前国津高郡小山村に士族の子として生まれた。
長じて大阪に出て郵便配達夫をし、20歳で巡査になったがすぐに退職した。明治21年(1888年)には、自由民権運動の思想家中江兆民が主宰する「東雲新聞」の記者になった。
角藤は、記者になってから、自由民権運動を演劇を通して普及させることを思いついた。そして大日本壮士演劇改良会を組織し、自作台本「豪胆の書生」を上演した。
これが日本初の壮士芝居であり、初の新派劇であった。
だがその後、川上音二郎のような才能ある新派役者が出てきて、角藤の一座は地方巡業を余儀なくされ、42歳で失意のうちに亡くなった。
角藤定憲の墓は、岡山市北区御津野々口の岡山市立御津南小学校の南方約30メートルの丘の上の墓地にある。
「岡山県の歴史散歩」には、「御津南小学校から西へ200mほどの所」と書いているが、これは誤りである。
私はグーグルマップで、御津南小学校近くの墓地を探して訪れ、墓地内を探索した結果、角藤定憲の墓を見つけ出した。
ネット上には、角藤定憲の墓について紹介したページがなかった。当ブログが、ネット上での角藤定憲の墓の世界初の紹介記事になる。
さて、野々口から北上して、岡山市北区御津金川の町に入る。ここは、岡山藩の家老日置(ひき)氏が陣屋を置いた陣屋町である。
この町の見谷(けんだに)という場所に、幕末に金川で活躍した医師難波抱節(なんばほうせつ)の墓がある。
難波抱節の墓地は、宇甘川右岸の、JR津山線の橋梁を潜った先の墓地にある。
難波抱節は、寛政三年(1791年)に金川で生まれ、京都で吉岡南涯から内科を、賀川蘭斎から産科を学んだ。
紀伊では華岡青洲(はなおかせいしゅう)から外科を学んだ。華岡青洲は、麻沸散という麻酔薬を使って、世界で初めて全身麻酔をかけた患者の外科手術を行った医者である。
江戸時代の日本で、世界初の全身麻酔による外科手術が行われたのは驚きだ。
難波抱節は、その後大坂で緒方洪庵から種痘術を学んだ。
そして、故郷の金川に帰り、日置氏の侍医となった。備前で初めて種痘を行い、吉備三国第一の名医と呼ばれた。
また、思誠堂塾を開いて、1500名近い子弟を教育した。
安政六年(1859年)、備前でコレラが流行した時、抱節は住民への種痘の施術に奔走したが、ついに自らコレラに感染し病没した。享年69。墓には、没年が刻まれていた。
疫病と戦う医師の姿は、当時も今も変わらない。
難波抱節の墓の同一敷地内に、妙玉童女という童女の墓があった。
墓に刻まれた没年を読むと、文政十一年(1828年)とある。
妙玉童女は、難波抱節の次女で、疱瘡で亡くなったようだ。
抱節は、後半生を伝染病との戦いに費やしたが、娘を疱瘡(天然痘)で亡くし、自身の命もコレラで失った。
江戸時代の衛生水準は、まだまだ低かった。
人の体が生身である限り、病にかかるのは仕方がないことだ。
家族を伝染病で失いながらも、それと戦い続けた抱節の医家としての志に、ただただ頭が下がる思いだ。