大師堂の北側には、本尊の地蔵菩薩を祀る本堂がある。
この本堂は、それほど古い建物ではないだろうが、なかなか見ごたえがあった。
本堂に入ると、格天井に植物画が描かれている。外陣と内陣の間の欄間には、極彩色の天女の彫刻が施されている。
内陣の奥には、金色に輝く厨子がある。この中に、本尊の地蔵菩薩像があるのだろう。
内陣の向かって左には、様々な仏像が安置されている。廃寺となった寺院から預かったものも含まれるのだろう。
中央の像は、元は阿弥陀如来坐像だろうが、不思議と阿弥陀如来が本来被っていないはずの宝冠を被っている。
本堂の左右の壁には、書家の斎灯サトル氏が制作した阿龍と吽龍の画が一面に描かれている。
物事の始まりとその後の成長を表しているのだそうだ。
本堂の西側には、天満宮の扁額が掛かった石鳥居がある。
だがその先の天満宮は、すでに撤去されている。
何かの理由で、再建されることなく廃社となったのだろう。
本堂の東側には、稲荷大明神がある。宝生院の鎮守である。
稲荷大明神の前にある狐の石像が、歯を剥き出しにした珍しい造形だった。
それにしても、お稲荷さんと真言宗の因縁は、浅からざるものがある。
稲荷大明神の隣には、小豆島八十八箇所霊場第51番札所の宝幢坊がある。
宝幢坊は、明治初年の神仏分離まで、富丘八幡神社を管理する別当寺であった。
神仏分離に伴って、日本中で別当寺が廃止となったが、宝幢坊も廃絶となった。
その宝幢坊の本尊として祀られていた十一面観世音菩薩立像が、宝生院に移されて、祀られることになった。
宝幢坊の前には、町指定彫刻宝幢坊十一面観世音菩薩立像の碑が建っている。
お堂の中に入ると、正面には毘沙門天坐像が、向かって右には本尊十一面観世音菩薩立像が、向かって左には不動明王立像が祀られている。
堂の中央には、護摩壇がある。仏像は黒く煤けている。長年の護摩行によって、像に煤がついたのであろう。
本尊の十一面観世音菩薩立像は、土庄町指定文化財である。
それにしても、毘沙門天の坐像というものは初めて拝観した。
さて、宝生院の参拝を終え、境内から南に出ると、東方に太麻山が見えた。
山全体を構成する花崗岩が風化して崩れ、頂上付近では岩肌が露出して、日本離れした絶景を生み出している。
偉大な風景を目にすると、そこに神仏が宿ってると思いたくなる。
岩と山と森林で構成された日本列島は、神仏が宿る国である。