淡路夢舞台 松帆神社

 江埼灯台の見学を終えて、県道31号線、国道28号線を東進し、淡路島の東岸にある淡路島国営明石海峡公園に行く。

 淡路島国営明石海峡公園は、史跡ではないが、私が史跡巡りのガイドにしている「兵庫県の歴史散歩」上巻に載っているので行く事にした。

 淡路島国営明石海峡公園のある場所は、以前は土砂の採取場であったが、平成に入ってから森林が削られたこの場所に、緑豊かな公園を造ることが計画された。

 阪神淡路大震災の発生により、計画が少し伸びたが、平成12年3月に公園は完成し、淡路花博ジャパンフローラの会場となった。

 公園は非常に広大で、園内に様々な花が植えられているが、私が訪れた12月末は花のシーズンではなく、園内にはほとんど色彩がなかった。

 公園に隣接して、建築家安藤忠雄氏が設計した淡路夢舞台という複合リゾート施設が建っている。

 この淡路夢舞台も、平成12年3月に完成した。

 淡路夢舞台は、安藤氏の建築の特徴であるコンクリート打ちっぱなしの建物だが、妙に魅かれる建物群であった。

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淡路島国営明石海峡公園の見取図

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明石海峡公園と淡路夢舞台の模型

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淡路夢舞台の模型

 淡路夢舞台は、国際会議場や、ホテルグランドニッコー淡路、貝の浜、展望テラス、百段苑、奇跡の星の植物園、野外劇場などで構成されているが、全て安藤忠雄氏の設計で作られている。

 私は建築には素人なので、この建物を論評することは出来ないが、無機質とも思えるコンクリート打ちっぱなしの建物だからこそ表現できる不思議な空間が現れているように思う。

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貝の浜

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貝の浜に流れ落ちる人口の滝

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ホテルグランドニッコー淡路

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貝の浜

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 貝の浜という水が湛えられた人口の池は、底一面に貝殻が敷き詰められている。

 安藤忠雄氏の建築は、日本はおろか、世界中に存在するが、この淡路夢舞台ほど広大な空間に建てられた作品はないのではないか。

 展望テラスは、楕円形で内部が吹き抜けとなった不思議な雰囲気を持った建物である。

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展望テラス

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展望テラス内の吹き抜け空間

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 この展望テラスには、淡路牛や淡路の海鮮料理を楽しむことができるレストランや土産物屋が入っている。

 また、最近のテレワーク推進の社会情勢に伴って、東京から本社機能を移転させたパソナグループのオフィスもこの建物の中にある。

 パソナグループは、淡路市にテーマパーク・ニジゲンノモリを開いている。国生み神話の宿る淡路島が、テレワークとオフィス移転の話題の場所となっている。

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奇跡の星の植物園

 淡路島は、淡路牛や海産物だけでなく、玉ねぎでも有名であり、食文化が豊かな島だ。地理的にも大阪、神戸に近く、地方移住先としては魅力的だろう。日本の未来のモデルケースになり得る島だと感じた。

 展望テラスより上の山の斜面には、百段苑という、コンクリートで囲まれた小さな圃が重なるように連なる庭園がある。

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百段苑

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 百段苑の最上段からは、淡路夢舞台と明石海峡公園の全貌を見下ろすことが出来る。

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百段苑から眺めた明石海峡公園の全貌

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 史跡でもないコンクリート造りの建物を紹介したが、どんなものでも百年経てば価値を有するようになる。百年前の自転車でも、現代に残っていれば貴重品である。

 この淡路夢舞台の建物群も、完成から百年経った2100年の人達からどう見られるのか、興味深いところだ。

 さて、明石海峡公園から国道28号線を南下し、淡路市久留麻にある松帆神社を訪れた。

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松帆神社鳥居

 松帆神社の祭神は、八幡大神である。その創建は、南朝の忠臣楠木正成にまつわる。

 建武三年(1336年)の湊川の戦いで、足利尊氏軍に敗れ、自刃した楠木正成は、家臣吉川弥六に日頃守護神として崇めていた八幡大神を託した。神像か神札のようなものでもあったのか。

 弥六は仲間と淡路に逃れ、現在の淡路市楠本に辿り着き、楠木村と称し、八幡大神を祀る小祠を建てた。

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随神門

 応永六年(1399年)、神社は今の場所に移転され、八幡宮と称した。今の松帆神社である。それ以来、浦、仮屋、小田の集落の氏神として尊崇されている。

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松帆神社社頭

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社頭の亀の石像

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寛政時代の扁額

 播州の山奥には、平家の落人村とされる村が点在するが、淡路には、湊川の戦いで敗れた楠木正成新田義貞配下の南朝勢が多く流れ着いたようだ。

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拝殿

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拝殿の鬼瓦

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拝殿の彫刻

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本殿

 この神社の社宝として伝わるのが、名刀の菊一文字である。

 古くから、「八幡宮には名刀あり」という口伝・噂があったが、その刀がどこにあって、どんなものかは長い間不明であった。

 昭和8年に、松帆神社本殿奥の内陣から、一振りの刀が見つかった。

 刀剣鑑定家本阿弥光遜や文部省国宝保存課主査本間順治博士により、菊一文字則宗の真作と認められた。

 承元年間(1207~1211年)に、後鳥羽上皇が全国から名刀工を召し出して作刀させた際に、その筆頭御番鍛冶だったのが、備前国福岡一文字派の祖・菊一文字則宗である。

 松帆神社に伝わる菊一文字は、承元年間に作刀されたもので、建武の中興の功績を認められた楠木正成後醍醐天皇から下賜され、正成が自刃する際に吉川弥六に託したものと思われる。

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菊一文字を保管する宝物殿

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菊一文字

 吉川弥六の子孫の口伝では、楠木正成の愛刀を落人たちで隠し持ち、ある時領主を通じて松帆神社に奉納したとされているそうだ。

 その口伝が事実を伝えたものなら、この菊一文字楠木正成の遺愛の品だろう。

 菊一文字は、由来が判然としないため、国宝や国指定重要文化財には指定されていないが、戦前は国が重要美術品に指定していた。

 菊一文字は、毎年10月第一日曜日の松帆神社の祭礼の際に公開されている。

 刀は武士の魂とよく言われるが、楠木正成の魂の宿る刀が、今も淡路の地で静かに時を刻んでいる。