鳥取市歴史博物館やまびこ館の見学を終えて外に出ると、カッとした日差しが降り注ぎ、一日の気温が最高に達する時間であった。
鳥取市歴史博物館自体が、樗谿(おうちだに)公園の中にある。
樗谿は、谷間の名前である。樗谿の奥には、かつて王寺という寺院があった。そのため、この谷は昔は王寺谷と呼ばれていた。
王寺谷は、慶安三年(1650年)に建った鳥取東照宮の造営地に選ばれ、大きく変貌を遂げた。
谷の名称も、このころに変わったのだろうか。
樗谿公園は、昭和4年に開園した公園である。
公園は東西に長く広がっており、西側に公園入口がある。
入口から入って左手に、広々とした空間があり、その奥に池がある。
この辺りは、9月12日の記事で紹介した大雲院がかつてあった場所である。
大雲院は、鳥取東照宮を管理する別当寺だったが、明治初年の神仏分離令で移転を余儀なくされた。
大雲院には、池泉回遊式の大庭園があったそうだ。樗谿公園西側に残る池が、かつての大雲院の庭園の名残だろう。
池のほとりには、休憩所の梅鯉庵がある。
私は梅鯉庵のベンチに座って、水筒の麦茶を飲み、一息ついた。
大雲院の跡地には、明治30年に西町から招魂社が遷座した。昭和14年に招魂社は護国神社と改称する。昭和49年に護国神社が浜坂に遷座すると、跡地は今のような公園になった。
樗谿公園は、国指定天然記念物のキマダラルリツバメチョウの生息地である。
キマダラルリツバメチョウは、シジミチョウ科に属する小さな蝶で、前翅の長さは12~18ミリメートルである。
翅の裏には、黄色の地色に複数の黒線が走り、翅の表は暗褐色で、オスの場合中央が瑠璃色の光沢を放つ。
後翅に2本の尾状突起があるのも特徴である。
6~7月に成虫になるらしいが、私が園内で見かけることはなかった。
さて、公園を奥に歩いていくと、鳥取東照宮の木製鳥居が見えてくる。両部鳥居である。
江戸時代までは、今の公園入口の辺りに鳥居があったそうだ。
鳥居を潜ると、正面に「樗谿公園」と刻まれた石柱がある。
この石柱は、樗谿公園が完成した翌年の昭和5年に建てられたものである。
昭和5年当時の公園入口を表している。護国神社移転後に、跡地も公園になり、公園が西側に拡張した形になった。
この石柱に向かって右側に、羽柴秀吉の本陣跡である太閤ヶ平に通じる舗装路がある。
ここから歩いて約40分で太閤ヶ平に着くという。
今回は太閤ヶ平には行かなかった。いずれ鳥取城跡から太閤ヶ平まで歩こうと思っている。
石柱前を左に進むと、石造の太鼓橋がある。
恐らく江戸時代に架けられた橋だろう。古い石造の橋は、趣があっていいものである。
中門は、城郭の門のような堅牢な門である。
日本に存在する8万社以上の神社の大半が、宗教法人神社本庁に所属している。
神社本庁は、各都道府県に支庁を持っている。鳥取県の支庁が、ここである。
戦後になって国家から切り離され、一宗教法人となった神道の今の姿がここにある。
参道の左手に、動物舎(鹿舎)がある。公園落成当時からある動物舎である。
私が動物舎に近寄ると、ポニーが動物舎から出てくるところであった。
動物を見ると、何故かほっとする。
随神門の手前に、王子の池がある。
池の奥には、東照宮造営時に導水・掘削された人工の滝壺が残されている。
その手前に、明治45年に建てられた「王子の瀧」と刻まれた石碑がある。
王子の池の濁った水の中を、鯉がゆったり泳いでいる。
猛暑にかかわらず、樗谿公園には、多数の人が散策に訪れていた。市民や観光客の憩いの場となっている。