当ブログ令和元年10月12日の「ビートルズ」の記事で書いたように、私は古い洋楽ロックが好きで、暇さえあれば音楽を聴いている。
しかし世界的にギター主体のロックはもう下火で、2010年代になってからは大物のロックバンドのデビューも僅かである。
若いころは、日本のロックはロックではないと食わず嫌いを決め込んでいた。唯一、昭和45年から昭和48年まで活動していた「伝説のバンド」村八分を聴いていた。
そんな私が、現代活動中の日本のロックバンドの中で唯一聴いているのが、エレファントカシマシである。
森鷗外が好きな私は、約10年前から、エレファントカシマシが鷗外を曲にして歌っているのは知っていた。youtubeでその「歴史」という曲のライブ映像を視聴してみたが、何だか変なものを見たという印象しかなかった。
次に、youtubeで、彼らのヒット曲「今宵の月のように」のライブ映像を視聴して、いきなりハマってしまった。
曲自体も良かったが、何というか「ちゃらい」ところが微塵もない骨太の音と、ヴォーカル宮本浩次の必死さが気に入った。
ここで思わず敬称略で宮本浩次と書いてしまった。当ブログでは、現存する方はさん付けで書いて、物故者は歴史上の人物とみなして、敬称略で書いてきた。
しかし、エレカシメンバーは、すでに歴史上の偉人たちと同列に扱っていいような気がするので、敬称略で書かせてもらう。
エレカシを聴いてすぐに思ったのは、私が好きな古い英国ロックの香りがしたということである。ビートルズ、ストーンズ、ディープパープル、レッドツェッペリンなどなど。
調べてみると、エレカシが若いころ、パープルやツェッペリンの曲のカバーを演奏していたことが分かった。
かといって、バタ臭い洗練された曲を作るのではない。初期エレカシは、「優しい川」「序曲『夢のちまた』」「珍奇男」「男は行く」といった、暗く汗臭い日本の男の世界と、ストーンズの泥臭い音がドッキングしたような、ぶっとんだ曲群を演奏した。
セカンドアルバムの最後の曲「待つ男」などは、浪曲とツェッペリンが合体したらこんな風になるかというような、世界でも唯一無二の曲である。
宮本のパフォーマンスは、腰を抜かすぐらい凄まじい時がある。さいたまスーパーアリーナでのデビュー25周年記念ライブの「昔の侍」のパフォーマンスは、DVDで見ただけだが度肝を抜かれた。
宮本は歌と作曲の才能が爆裂したとんでもない男だが、それを黙って静かに支え続ける他の3人のメンバーの存在がとても渋い。
初期エレカシは、一見キワモノにしか聴こえないようなマニアックな曲ばかり作って、おかげで全然売れなかった。それでも宮本の才能を他のメンバーが信じてひたすら黙ってついてきて、今に至ったバンドの結束の固さには、感動すら覚える。
ビートルズメンバーは、メンバーそれぞれに才能があって、音楽上の主義主張があったおかげで、後半にメンバー同士が衝突するようになって、ついには解散してしまった。
エレカシは、宮本以外のメンバー3人が、宮本の作る曲の説得力と、それをリスナーに届けようとする宮本の熱意に敬服していて、宮本の言う通りにしていたらいい曲が出来ると信じている。
彼らの演奏は、ツェッペリンやディープパープルのように、超絶技巧ものではないが、いい曲を届けるために一生懸命汗をかいて練習し続けてきた熱意を感じさせる本物感のある演奏である。
エレカシの曲の中で、曲調、歌詞など、最もエレカシらしいと思う曲は、シングル「真夜中のヒーロー」のC/Wである「旅の途中」である。これはどのアルバムにも収録されていない。「四月の風」「風に吹かれて」「さらば青春」も名曲だと思う。
エレカシ第二の模索期だった東芝EMI時代の曲が、マニアックな歌詞とポップさと骨太の音が融合していて、結構好きである。
エレファントカシマシは、映画「エレファントマン」が流行し、三味線を持った3人組コメディアングループのかしまし娘が解散した昭和56年に結成された。ベースの高緑成治が加入して今のメンバーで固まったのが昭和61年である。昭和63年のレコードデビューからでも、もう32年になる。
宮本は長年数多くの曲を作曲してきて、通常であればイマジネーションが枯渇してもおかしくないが、未だに人を驚かせるような曲を作ってくる。
宮本は今ソロ活動をしているが、次のエレカシのアルバムも、さぞ驚くべきものになるだろう。
私は、書物にしても音楽にしても、後世に残りそうなものに接するようにしているが、エレファントカシマシというバンドの曲も、日本語のロックの歴史の中で、後世の日本人に必ずや思い返されるものであると考えている。