由加神社本宮の拝殿の下には、縁結びの神様を祀っている。拝殿下に回廊があり、そこを巡れば、誰かと縁を結ぶことが出来るそうだ。
私は縁結びではなく、史跡巡りの無事を祈った。
回廊には、男性用と女性用の縁結び獅子が2体設置されている。
男性用縁結び獅子の横には、瑜伽大権現の神使の白狐75体の像がある。
由加神社本宮社殿に向かって左には、稲荷大明神が祀られているが、お稲荷さんだけでなく、瑜伽大権現の神使も白狐らしい。
回廊の中央には、縁結びの神様が祀られている。どうやら祀られているのは、素戔嗚尊のようだ。
拝殿の向かって左側には、思わず息を吞むほどに壮大な巨石群があり、その前に菅原道真公の石像がある。
延喜元年(901年)、九州大宰府に左遷となった菅原道真公は、児島唐琴の浦に数日間滞在したそうだ。
道真公はここで、
船とめて 波にただよう 琴の浦 通うは山の 松風の音
風により 波の緒かけて 夜もすがら しおや引くらむ 唐琴の浦
という二首の歌を詠んだ。道真公一行は、ここで潮待をしたようだ。
道真公が宿泊した家には、美しい姫がいた。姫は別れを惜しんだが、道真公はいつかこの地に帰ることを誓って出帆した。
道真公の死後、この地に光明が差し、瑞雲が現れた。地元の人は、道真公の魂魄が戻ってきたと信じ、天神様をここに祀ったという。
菅原道真公の石像の上には巨石があり、その右側に赤い社殿の稲荷大明神がある。
この巨石群は、太古からここにあって、人々から崇められてきたことだろう。太古の人々は、巨大な石に神々しさを感じ、畏れ敬った。これが原初の日本人の信仰の姿だ。
修験道の山には、必ず巨石がある。修験道は、太古の巨石信仰の系譜を引いている。
巨石のある場所は、その後神社になったり寺院になったりした例が多い。由加山もそうである。
行基菩薩は、阿弥陀如来と薬師如来を瑜伽大権現として祀ったというが、太古からここにあるこの巨石こそが、行基菩薩がこの地を訪れる前から崇められていたものだろう。ひょっとしたら、瑜伽大権現の由来もこの巨石にあるのではないか。
いわば、由加山の核心がこの巨石にあると言ってもいいと思う。
さて、巨石の脇には、岡山県指定文化財の由加神社本宮本殿がある。
この本殿は、延宝二年(1674年)に岡山藩により建てられたものである。元々は鮮やかな朱色に彩色されていたのだろう。今は色が大分はげている。桃山時代の様式を残している。
由加神社本宮の本殿は高所にあるが、蓮台寺の観音堂の建つ場所からなら、同一の高さから眺めることが出来る。
この本殿は、入母屋造りを2つ連結した比翼入母屋造りという非常に珍しい形をしている。
同じ岡山県内に、国宝の比翼入母屋造り本殿を持つ吉備津神社があるが、岡山藩は吉備津神社本殿を手本として、由加神社本宮の本殿を建てたことだろう。
上の写真の本殿の手前にある赤い社は、三宝荒神である。
本殿を下から見上げると、本殿の背後にも巨石があるのが見える。
仏教到来以前の神社には、建物はなく、ただ巨石や山や瀧や樹木を御神体として祀っていた。仏教と同時に仏教建築が到来したので、神道も仏教への対抗上、社殿を建て始めた。
そう思うと、由加神社本宮付近の巨石群は、蓮台寺や由加神社の建物が出来る前から祀られてきた、聖物だろう。やはりこれが由加山の核心だ。
太古の日本人の信仰心を思い浮かべると、蓮台寺や由加神社の立派な建物群も、あらずもがなの飾りのように思えてくる。