出石城跡 有子山城跡 その3

 有子山稲荷神社の参拝を終えて、有子山に向かって更に奥に進む。

 しばらく行くと、有子山城跡の登山口が見えてきた。

有子山城跡登山口

有子山城跡登山ルート

 有子山城跡は、標高約321メートルの有子山の山上にある。登山道はよく整備されていて登りやすい。

 有子山城は、天正二年(1574年)に山名祐豊が築城した山城である。天正八年(1580年)の秀吉の但馬攻めで落城した。

 その後羽柴秀長前野長康、小出吉政が城主として入城したが、出石藩主小出吉英の時に、有子山城は廃城となり、麓の出石城が政庁となった。

熊出没注意の看板

 有子山城跡には、石垣で囲まれた曲輪群が残されている。城に石垣を築くのは、信長の安土城築城以降の風習である。

 今の有子山城跡に残る石垣は、山名氏の時代のものではなく、羽柴秀長以降に築かれたものであろう。

 山上の曲輪群に辿り着くまでは、階段をひたすら登っていくことになる。途中、熊出没注意と書かれた看板もある。北近畿にはツキノワグマが生息している。

 登山の途中、斜面に掘られた竪堀や土橋などを確認した。

竪堀

土橋

土橋が架けられた堀切

 竪堀、土橋、堀切といった、土製の城の防御機構を楽しみながら進む。

 さて、しばらく行くと、最初の曲輪である北第六曲輪に至る。

北第六曲輪

 有子山城跡は、主郭(本丸)の北東と北西の尾根に曲輪が階段状に設置されている。

有子山城跡の見取図

 上の見取図の上側が北である。登山口は北にある。井戸曲輪の右側にある曲輪が北第六曲輪である。

 北第六曲輪から西に歩くと、井戸曲輪がある。井戸曲輪は、曲輪下の斜面に沿って石垣が張り巡らされている。

井戸曲輪の石垣

 私が有子山城跡を訪れた時は、道の下の斜面にあるこの石垣の存在に気が付かなかった。後に出石藩家老屋敷で井戸曲輪の石垣の写真を見て、このような遺構があったことを知った。

 現地でこの目で見たかった。残念である。

 井戸曲輪を過ぎて西に行くと、第七曲輪がある。第七曲輪の下には、階段状に第八、第九、第十曲輪が連なっている。

第七曲輪

第七曲輪から見下ろした第八曲輪

 この辺りの曲輪は、山名氏の時代からあったものだろう。

 第七曲輪を過ぎて更に登ると第六曲輪がある。第六曲輪から、曲輪周囲が石垣で囲まれるようになっている。

第六曲輪の石垣

第六曲輪

 第六曲輪の上にある第五曲輪も石垣で囲まれている。

第五曲輪の石垣

 第五曲輪は広々とした曲輪である。ここからは、出石城下の町並みを見下ろすことが出来る。

第五曲輪

第五曲輪から眺めた出石城

 第四曲輪は、石垣上ではなく、土の切岸上にある曲輪である。

第四曲輪

 第四曲輪の上には、立派な石垣を持つ第三曲輪がある。この第三曲輪の石垣が、有子山城跡で最も規模が大きい石垣である。

第三曲輪の石垣

 第四曲輪からは、主郭の東側にある最大の曲輪、千畳敷への道が分岐している。

第四曲輪から千畳敷への道

 千畳敷までの道沿いに、第三曲輪の石垣が延々と連なっている。

 有子山城跡は、山名氏の時代の土製の山城の防御機構を楽しむことが出来、同時に安土桃山時代に整備された石垣群を楽しむことが出来る。

 有子山城跡の石垣群は、天空の城として有名な、同じ但馬の竹田城に勝るとも劣らぬ規模である。

 また、有子山城跡の麓には、江戸時代になってから築かれた出石城跡がある。

 出石城跡、有子山城跡は、戦国時代の土製の山城、安土桃山時代の石垣を巡らした山城、江戸時代の平地に築かれた城と、城の変遷の歴史を実感することが出来る場所だ。

 私が有子山城跡に登った時、見かけた観光客や登山客は僅かであった。もっと見学客がいてもいい城である。

 出石を訪れた方には、登るのが大変ではあるが、有子山城跡を見学することをお勧めする。