神戸海洋博物館 その5

 カワサキワールドの見学を続ける。

 日本は、昭和20年の終戦後、連合国軍に占領され、昭和27年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効まで主権が制限されていた。

 占領下の日本では、GHQの指示により、軍事転用可能な飛行機や潜水艦などの製造が禁止されていた。

 日本の主権回復の翌年の昭和28年、川崎重工業は、戦後初の国産航空機用エンジンKAE-240型を開発する。

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KAE-240型

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 このエンジンは、運輸省から型式証明を取得したが、実際に航空機に搭載されることはなく、1機だけの製造となった。

 見てのとおり、シリンダーが水平になっている空冷水平対向6気筒エンジンである。パワーは240馬力らしい。

 車好きならすぐにピンと来ると思うが、空冷水平対向6気筒エンジンは、993型までのポルシェ911に積まれていたエンジンと同形式である。996型ポルシェ911からは、水冷水平対向6気筒エンジンが積まれている。
 戦前に飛行機を製造していた日本の会社の中には、戦後になって飛行機開発が禁止されたため、技術を生かせる自動車製造に転業したところがあった。

 有名なのは、零戦のエンジンを開発していた中島飛行機である。中島飛行機は、戦後富士重工業富士精密工業に分かれた。

 富士重工業は現スバル自動車のことである。富士精密工業プリンス自動車になり、スカイライン、グロリアを開発した。

 プリンス自動車は、昭和41年に日産自動車と合併し、スカイライン、グロリアは日産に受け継がれた。

 スバル車に乗る水平対向エンジンも、中島飛行機時代の航空機用エンジンの技術を応用したものである。4代目レガシィ/レガシィB4 3.0Rには、水平対向6気筒エンジンが積まれていた。今でもマニアが手放さない名車だ。

 ドイツのBMWも、戦前は航空機用エンジンメーカーだったが、戦後自動車メーカーになった。

 私は航空機会社の血を受け継いだ自動車に興味を覚える。

 川崎重工業は、戦後四輪車を造らなかったが、このエンジンを見て、つい航空機と自動車の血脈を思い出した。

 川崎重工業は、今ではオートバイメーカーとして有名で、昭和27年に二輪車事業に進出したが、二輪車については次回に紹介したい。

 川崎重工業は、変わったところでは、昭和26年に甲子園球場の大銀傘を製造した。

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甲子園球場大銀傘

 戦時中に資源として供出された甲子園球場の鉄傘を復活させたのである。川崎重工業の戦後の歩みは、戦後の復興の歩みでもある。

 昭和29年には、アメリカのベル社から技術を導入し、国産初のヘリコプターを開発する。

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川崎ベル47型小型ヘリコプター

 昭和33年には、東海道新幹線が開通するまで、東海道本線の交通の主力だった特急こだまの車両を製造する。

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特急こだま

 東京ー大阪間は、当時6時間50分もかかっていたのだ。

 昭和35年には、戦後初の国産潜水艦おやしおを建造する。

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潜水艦おやしお

 明治から受け継がれた潜水艦製造技術が生かされたことだろう。

 昭和36年からは、アメリカ・ボーイング社からライセンス製造権を取得した川崎バートルKV-107Ⅱ型ヘリコプターをライセンス生産した。

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川崎バートルKV-107Ⅱ型ヘリコプター

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 メインローターが2つある大型ヘリコプターで、平成元年まで合計160機が生産された。警察、消防などに納入され、人員、物資の輸送に使用された。阪神淡路大震災では、救難物資輸送に活躍した。

 カワサキワールドには、川崎重工社用の同型機美濃の実機が展示されている。

 昭和38年には、神戸ポートタワーを建造。

 昭和39年には東海道新幹線の0系車両を製造した。

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東海道新幹線0系車両

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 カワサキワールドには、0系新幹線の実車が展示されている。私が子供の頃に乗ったのは、この0系である。

 未だに私の中での新幹線のイメージは、この0系だ。0系は、世界初の高速鉄道専用車両である。世界の鉄道史を塗り替えた歴史的車両だ。

 昭和44年には、我が国初の深海調査船しんかいを開発した。

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深海調査船しんかい

 身近なところでは、神戸市営地下鉄の車両も、川崎重工業が開発した。

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神戸市営地下鉄車両

 私は過去に、神戸市営地下鉄沿線に住んでいたことがあり、当時はよく利用した。

 昭和54年には、ドイツのメッサーシュミット社などと共同で、軽量ヘリコプターBK117を開発した。

 BK117は、軽量だがキャビンが広く、航続距離が長いため、救急医療ヘリなどでよく利用されている。

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川崎BK117

 人のために働く乗り物というものは、いいものだ。

 昭和61年には、H2ロケットのフェアリングを開発した。川崎重工業は宇宙にも進出した。

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H2ロケット先端部

 昭和62年には、カワサキワールドの入る神戸海洋博物館を建設。

 川崎重工業は、戦後も航空機の設計開発を続けたが、昭和63年には、航空自衛隊の練習機T4を製造した。

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T4中等練習機

 T4は、平成3年から航空自衛隊ブルーインパルスの機体に採用され、現在でも曲技飛行に使用されている。

 精密なアクロバット飛行が可能なT4は、操縦がしやすく、小回りがきく機体なのだろう。

 川崎重工業は、昭和63年から平成3年まで工事が行われた英仏海峡トンネルの掘削機も製造している。

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英仏トンネル掘削機

 この掘削機は、20キロメートルの英仏海峡トンネルの掘削に使用されたが、予定より8カ月も早く掘削を完了させるなど、トンネル掘削の歴史に数々の世界記録を残したそうだ。

 その後も川崎重工業は、高効率のガスタービンエンジンを開発したり、平成26年には純国産独自技術の水素液化システムを開発して、環境分野にも進出している。

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水素液化システム

 今後の世界は、脱炭素に向かって否応なしに進んで行き、エネルギー危機のような状況に近づくだろうが、そんな時代を乗り越えていく技術開発に期待したい。

 川崎重工業は、宇宙から陸海空、深海に至る様々なエリアで活動する乗り物を製造している。

 同じような会社に三菱重工業石川島播磨重工業があるが、川崎重工業は、オートバイやジェットスキーといった身近な乗り物を製造しているところに特徴がある。

 重工業は国の屋台骨と言っていいと思う。明治以降の川崎重工業の歴史は、近代日本工業化の歴史の重要部分を占めていると考えられる。