西脇市郷土資料館

 兵庫県西脇市は、播州織で有名な町である。播州織の資料等を展示しているのが、西脇市西脇にある、西脇市郷土資料館である。生活総合文化センターの2階が丸々郷土資料館になっている。

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西脇市郷土資料館

 コロナウイルスの関係で閉館しているのかと思いきや、人影はまばらながら開館していた。

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郷土資料館の展示コーナー

 播州織は、先に糸を染めてから、色の着いた糸を織り上げていく先染織物である。

 寛政四年(1792年)に、多可郡比延村の飛田安兵衛が、京都西陣の技法を習得し、織機に改良を加えてこの地で織り始めたのが始まりらしい。

 ところで織機の歴史は古く、弥生時代から日本人は織物をしていたらしい。古い手織機は、織機を地面に置いて、織手は地べたに座って織る、地伏機(じぶせばた)というものだった。

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地伏機

 手前にある足綱を踏んで経糸を上下させて、緯糸をその間に入れて織っていく。

 時代が下ってくると、織り台の上に織機を乗せた長機(ながはた)が開発された。

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長機

 織手は、織り台に座って作業出来るようになった。

 播州織が織られ始めた頃は、この長機が使われていた。当初は、農家が各自で織っていたが、やがて織元が、長機と糸を農家に持ち込んで、出来高に従って賃金を払う問屋制家内工業に発展した。マニファクチュアの前段階が、天保時代の西脇では実現していた。

 明治33年に、来住(きし)兼三郎が動力織機を導入し、工場制手工業に発展した。織手は工場で働くようになった。明治中期には、日本は海外綿花を大量輸入し、工業用電力も安価に供給されるようになった。専業者の増加、工場規模の拡大が見られ、明治末期には、播州織は西脇の特産となった。

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明治期の播州

 その後大正時代に入ると、第一次世界大戦による世界的な衣料品不足と、関東大震災による横浜港の機能停止とそれに代わる神戸港の輸出港としての発展に伴い、播州織は海外販路を開拓し、世界に輸出されるようになる。

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大正、昭和初期の播州

 播州織は、東南アジアやアフリカに主に輸出されるようになった。

 戦後は、発展途上国の繊維産業との競合を避けるため、播州織は欧米の先進国に輸出されるようになった。

 この頃が播州織の最盛期である。館内には、昭和30年ころの播州織工場の生産の様子を再現した展示がしてあった。

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昭和30年ころの播州織工場の様子

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36インチ力織機

 写真の36インチ力織機は、昭和30年当時の主力織機である。

 播州織工場で働く女性織工の労働後の疲れを取るため、魚醤をベースにした甘口の播州ラーメンが、西脇を中心に売り出されるようになった。
 こうして最盛期を迎えた播州織だったが、昭和60年のプラザ合意以降、急速に円高が進んだため、播州織は輸出よりも国内向け生産へのシフトを余儀なくされた。その後安価な中国産の繊維製品などと競争を避けるため、播州織は付加価値の高い商品を多品種少量生産して販売するようになった。

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昭和後期、平成時代の播州

 ところで、西脇市は、播州織だけでなく、釣り針の産地としても有名である。釣り具会社の「がまかつ」も西脇発祥の会社である。播磨国は、かつて針間国と呼ばれたが、昔から針の生産が盛んだったようだ。確かに播州の川では、鮎釣りが盛んである。

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播州釣針

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 展示の中で目を引いたのは、鳥や動物の毛を針に付けて、虫に見せて魚をおびき寄せる毛針である。魚の種類によって、様々な鳥や動物の毛を使って、大きさを変えながら毛針を作る。

 毛針が登場したのは案外古く、延宝六年(1678年)には、蠅頭、蚊頭という名で使われていたらしい。

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毛針

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毛針に使われる鳥の羽毛

 現代日本の毛針の大部分は、西脇で生産されているらしい。

 日本でも石器時代の地層から、骨角器の釣針が発掘されており、釣りは石器時代から行われていたことが分かっている。

 織物の歴史も釣りの歴史も古いものである。

 西脇の地は、小さい町ながら、古くからの産業を現代化させて今に伝えている貴重な地域であると言える。