苫田ダムから東進し、苫田郡鏡野町馬場にある小田草神社と小田草城跡を目指した。
小田草城跡は、標高約390メートルの小田草山の山上にあるが、その麓に小田草神社がある。
小田草神社の参道は、急な石段である。息を切らしながら、一段一段登っていく。
小田草神社の創建のことはよくわかっていない。寿永年間(1182~1184年)に源頼朝が神社を再建したという。
鎌倉時代には野介荘全体の総鎮守となった。
美作中央部では、美作国二宮の高野神社に次ぐ大社だったという。
更に暦応五年(1342年)、小田草城主斎藤二郎が神社を再興したという。
祭神は、江戸時代までは小田草大明神と呼ばれてきたが、今は高皇産霊(たかみむすび)神、神皇産霊(かみむすび)神という造化の二神が祀られている。これに天御中主(あめのみなかぬし)神が加わると、「古事記」の冒頭に出てくる造化三神になる。
長い長い石段の参道を登りきると、高台に境内がある。拝殿も本殿も、そう古いものではなさそうだ。
小田草神社は、明治30年に火災で全焼したらしい。今の社殿は、明治37年に再建されたものである。
拝殿の前には、溶け切らない雪が残っていた。ざくざく雪を踏んで社頭に至り、柏手を打った。
本殿の彫刻は、なかなか豪壮なものであった。
小田草神社には、岡山県指定工芸品の小田草神社梵鐘がある。神社に梵鐘があるのは、昔の神仏習合の名残であろう。
この梵鐘は、小田草城主斎藤二郎が貞治七年(1368年)に奉納したものである。
梵鐘の銘文には、貞治七年三月という年月と、小田草城主斎藤二郎の名が刻まれている。
結構明瞭な字で刻まれているので、貞治七年がついこの間のような気がしてくる。
撞木で鐘を試しに突いてみた。グォーンという腹に響く重い音が響いた。梵鐘の音を聴くと、心が鎮まる。
655年前の古鍾の音である。音は次第に低くなり、空気中に消えていった。
腹の中に不思議と満足感が沸いた。