白鶴酒造資料館 前編

 東求女塚古墳の見学を終え、南に下り、神戸市東灘区住吉南町4丁目にある白鶴酒造資料館を訪れた。

白鶴酒造資料館

 白鶴酒造資料館は、寛保三年(1743年)に創業した白鶴酒造株式会社が、近代化以前の酒造りの工程を紹介、展示するために作った資料館である。

 資料館の建物は、大正時代初期に建てられ、昭和44年まで白鶴酒造の本店一号蔵として使用されていたものである。昭和57年に改装され、白鶴酒造資料館となった。

白鶴酒造資料館内の売店

 資料館1階には、白鶴が製造するお酒などの売店がある。私が訪れた時は、東南アジアから来たと思われるツアーの団体観光客で売店がごった返していた。

 今や日本酒は、世界中で愛されるようになったのだ。

 神戸市灘区、東灘区から西宮市にかけては、「灘五郷」と呼ばれる日本最大の酒造地帯である。

灘五郷絵図

 東西約12キロメートルのこの地域で、全国で生産される日本酒の約1/4が生産されているという。

 灘五郷を西から順番に書くと、西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷今津郷になる。

 以前紹介した沢の鶴は、西郷の酒造業者である。白鶴は、御影郷の酒造業者だ。

 灘五郷がなぜ全国一の酒造地帯になったかというと、まず六甲山の北側の地方で、酒造りに適した酒米が沢山取れることが挙げられる。

白鶴錦

 兵庫県三木市吉川町を中心に、酒米山田錦が豊富に収穫されているが、白鶴では平成19年に開発された、山田錦の兄弟種である白鶴錦も酒米として利用しているらしい。

 更に、灘五郷では、西宮から湧き出す宮水という名水を酒造に使用している。

 昔は、宮水を杉材で作った大砲という樽に入れ、馬車で運んだ。大砲には、一升瓶500本分の水が入った。現代のタンクローリーの前身である。

宮水の運搬に使われた「大砲」

 灘が酒造地帯として発展した理由として、丹波杜氏という酒造りの職人が、江戸時代に灘五郷に出稼ぎにきたことも大きい。

 また、六甲おろしの吹き下ろす灘地方は、気候的に酒造に適しており、出来上がった酒を出荷するための港も近い。

 これら、米、水、人、地という条件が揃っていたことが、灘五郷が酒造地帯として発展した原因である。

 さて、白鶴酒造資料館では、昔の酒造り作業を人形と昔の酒造道具を使って再現展示している。これがなかなかリアルである。

 酒造作業は、まず酒米を洗う洗米から始まる。外に雪がちらつく真冬にこの作業は行われる。手が切れるような冷たい水で米を洗う作業は過酷である。

 洗い終わった酒米は、漬桶の中で、数時間から約十数時間水に漬けられた。

漬桶

 漬桶で水に浸された米は、大釜の上に据えられた甑に入れられた。

 甑の下には穴が開いていて、大釜に入れた水を炊くことで出た蒸気が、その穴を通って甑に入り、中の米を蒸した。蒸米の工程だ。

蒸米の工程

大釜

 蒸米の時に、甑穴の上に置いて使用されたのが、猿と呼ばれる道具である。

 猿が伏す姿に似ているので、この名が付いたという。

 猿には、円形、四角形、六角形、八角形などいろいろな形がある。中心から周辺に向かって溝が何本か彫られている。蒸気がこの溝から四方八方に放射され、甑の中の米を満遍なく蒸すのである。

 こうして蒸されて出来た蒸米を、掘手が甑ぐつを履いて甑の中に入り、大分司という道具を使って取り出す。取り出された蒸米は、甑の外の作業員が、飯試(めしだめ)で受け取る。

甑取の作業

 出来立ての蒸米は熱いので、掘手は防熱用の甑ぐつを履いて甑の中に入らねばならないのである。

甑ぐつ

 蒸米からは、摂氏100度の蒸気が沸き上がる。この蒸気を逃がすために、1階の釜場の上から2階天井を突き抜けるように設置されたのが櫓である。

 資料館2階に上がると、櫓を含む作業展示空間になっている。

資料館2階

 1階釜場の甑から出た蒸気は、この櫓を通って建物外部に放出される。

外から見た櫓

 櫓は単なる建物の意匠ではなく、実用的な用途があったのである。

 さて、甑取の作業で飯試に入れられた蒸米は、筵の上に広げられ、冷やされる。

 放冷という作業である。

放冷される蒸米

 筵の上に広げられた蒸米は、均等に冷やすため、線を入れられる。

 蒸米は、添(そえ)、仲(なか)、留(とめ)、酛(もと、酒母ともいう)、麹用にそれぞれ分けられて冷やされる。

 麹は、蒸米の中に、米の発酵に有効な麹菌を繁殖させて作られたものである。

 この麹は、高温多湿の麹室(こうじむろ)で作られる。

麹室での作業

 麹室は、高温多湿に維持するための工夫がなされている。壁の中に、藁や籾殻を75センチメートルの厚さに詰め込んで断熱材とした。

 天井には、1メートル以上俵を積み重ね、その上に泥を塗った筵を敷いた。

 換気用の天窓や、天井部分の引き戸を使って空気の出入りを調節した。

 麹室内を30度前後の室温に保った上で、蒸米の上に種麹をふりかけ、蒸米に種麹を揉み込んで、均一に付着させた。

 その後、蒸米を布で巻いて一晩寝かせ、翌朝さらに蒸米を揉みほぐして、麹蓋に盛り分けて、麹菌を繁殖させた。

麹蓋に盛り分けられた蒸米

 この麹蓋を積み重ねて、上から布をかけ、麹菌を繁殖させて、麹を作ったのである。

 次は、酛仕込みの工程だ。

 酒造りもモノづくりの一つである。日本人は、モノづくりに際して手を抜かない国民性を持っている。

 この国民性が生んだものだからこそ、日本酒は今や世界で愛されるようになったと言えよう。