陣屋町天城 後編

 海禅寺から南に行くと、日蓮宗の寺院、恵光山正福寺がある。

恵光山正福寺

 この寺の山門は、下津井城の城門を移築したものであるという。

正福寺山門

 正福寺の山門は、意外と小ぶりな山門である。こんな城門を持った下津井城は、ささやかな城だったのだろう。

 正福寺の本堂も庫裏も新しい。境内にあった観音菩薩の石像が印象的だった。

本堂

庫裏

観音菩薩の石像

 山門の脇には、釈迦が誕生してから涅槃に入るまでの、重要な8場面を描いた釈迦八相図の石像があった。

「降魔成道」の石像

 中でも釈迦が様々な困難や誘惑に打ち勝って悟りを開いた場面である、「降魔成道」の場面の石像が面白かった。悟りを開いた釈迦の周囲に、様々な悪魔や怪物がいて、地団太を踏んでいるような図である。

 釈迦が覚者となった瞬間が、仏教が誕生した瞬間である。これが仏教の中で、最も重要な場面だろう。

 正福寺の南側には、真宗大谷派の寺院、静光(じょうこう)寺がある。

静光寺

 静光寺の山門は、天城陣屋の総門を移築したものであるという。

静光寺山門

 静光寺山門は、天城陣屋の建物の中で、現在に唯一残る遺構である。

 どういう経緯で、静光寺が天城陣屋の総門を引き取ったのかは分からない。だが今この門が残っているのは有難いことだ。

 静光寺の本堂の右手には、小さな池があり、美しい蓮の花が咲いていた。

本堂

蓮の花

 7月は蓮のシーズンである。仏教を象徴する蓮の花を見ると、暑気の中にいても気持ちが洗われる気がする。

 この池の奥の本堂裏に、大石内蔵助良雄の母方の祖母の墓がある。土饅頭の上に石が置いているだけのささやかな墓である。

大石良雄の祖母の墓

 池田由成の妻は、団八郎の娘で、慶安三年(1650年)に岡山で卒し、法号を明厳院釈静光禅尼といい、天城静光寺に葬られたという。

 池田由成の六女、熊子は、赤穂藩家老大石良昭に嫁し、万治二年(1659年)に大石内蔵助良雄を生んだ。

 この墓は、池田由成の正妻の墓にしてはいかにも粗末である。しかも夫の由成と別の場所に葬られている。何か事情があったのだろうか。

 天城の町には、岡山県指定重要文化財、史跡となっている日本基督教団天城教会がある。

日本基督教団天城教会

 この教会は、明治23年に建設された木造瓦葺の建物である。

 上の写真は教会の南側から写したものだが、後で調べるとどうやら北側に正面入口があったようだ。敷地に入るのを遠慮してしまって、そこまで確認出来なかった。

 城や陣屋が失われても、その一部が町のどこかに移築されている例は多々ある。

 普段気にしていないだけで、調べてみると案外身近なところにも、そういう遺構は残っていたりする。近世の歴史は、意外なところに伏在しているものだ。