江井

 淡路市の港町・江井は、古くから漁業や廻船業で栄えた。

 寛永二十年(1643年)には、徳島藩邸が置かれ、淡路の西海岸や播磨灘の警備の拠点となった。

 江戸時代後期には、廻船は長崎港、平戸港、兵庫港、堺港などとの交易に従事し、江井港は繁盛した。淡路の富の七割が江井にあると言われた。

 幕末からはお香の生産も盛んに行われた。今でも一帯はお香の名産地である。

 徳島藩邸の門は、江井崎にある平見山法華寺に移築され、今は寺の山門として使われている。

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徳島藩邸の門

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 門は堅牢な作りをしており、寺院の門というよりは、城郭の門と言った方が相応しい。

 法華寺は、真言宗の寺院である。門の前に修行大師と烏枢沙摩(うすさま)明王の像が置かれている。

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修行大師と烏枢沙摩明王の像

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烏枢沙摩明王

 烏枢沙摩明王は、古代インドにおいてアグニと呼ばれた火の神で、この世の汚れの一切を焼き尽くす功徳を持つと言われている。

 アグニは密教に取り入れられ、明王の一尊となった。明王は、如来の変化神で、仏教に帰依しない民衆を教え導く役割を持つ。怒りの形相もそのためのものだ。

 法華寺の本堂には、大日如来勢至菩薩を祀っている。

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法華寺本堂

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 本堂からは、子供の声が聞こえる。お寺の子の声だろう。お寺の日常を思った。

 また、本堂の隣にある薬師堂には、薬師如来と観世音菩薩が祀られている。 

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薬師堂

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 法華寺の門の外を散策すると、江井の村から出征した兵士たちを慰霊する慰霊塔があった。

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慰霊塔

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 慰霊塔の前に建つ戦没者御芳名の碑を見てみる。

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戦没者御芳名の碑

 戦没者を数えてみると、日清戦争では1人、日露戦争では5人だった村の戦没者も、支那事変・大東亜戦争では150人に上る。

 近代の日本が戦った戦争の中で、どれだけ支那事変と大東亜戦争の犠牲が圧倒的だったかが分る。

 塔の前には、奉納された千人針の碑と爆弾の碑がある。

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千人針の碑

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爆弾の碑

 石碑に刻まれた文字を見ると、千人針の碑の上には元々機関銃が据えられていたようだ。

 日本人が海外で激しく戦ったことも、長い長い日本の歴史の一部である。

 慰霊塔のすぐ脇には、弘法大師を祀る大師堂がある。

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大師堂

 弘法大師戦没者を慰霊するために鎮座しているかのようだ。

 法華寺の下から江井崎の先端に延びる道を行くと、行く手に民間企業の保養所が見える。

 あそこからの眺めは、いいものだろう。

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江井崎

 江井崎には、海岸に下りる遊歩道があったが、今は崖が崩れてしまって、立入出来なくなっている。

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かつての遊歩道入口

 法華寺の裏側には、墓地がある。墓地から、江井の町や海を見晴るかすことが出来る。

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江井崎からの北側の眺め

 よく目をこらして北側を見ると、神戸市西区にある雄岡山(おっこさん)、雌岡山(めっこさん)がうっすらと見える。

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播磨灘と播磨の海岸

 また、西を眺めると、四国がうっすらと見える。

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四国方面

 かつて、「雄岡山 雌岡山」の記事で書いたが、伝説では、雄岡山の男神が、小豆島の美女に逢うために鹿に乗って播磨灘を渡ると、淡路の猟師に鹿を射られ、渡海に失敗した。

 鹿の血で赤くなった海岸が赤石と呼ばれるようになり、後に明石という地名になった。

 伝説に登場する地を一望できる場所に立つと、伝説は今も生きていると感じる。