姫路城の北東側には、姫路市立美術館がある。
かつて、姫路城が陸軍第10師団の駐屯地だった時に、兵器庫・被服倉庫として使われていた赤レンガの建物が、今は美術館として利用されている。
この建物は、明治38年に建設され、大正2年に増築された。戦後は長い間、姫路市役所として使用されていた。
昭和55年に、姫路市役所は現在の姫路市安田4丁目に移転となる。この建物は、大改修工事の後、昭和58年に姫路市立美術館として開館した。
赤レンガに瓦葺という、いかにも明治を彷彿とさせる建物だ。
赤レンガ越しに、姫路城を見ることが出来るが、これも明治の光景のようで中々いいものだ。
美術館の前には、ブルーデル作「モントーバンの戦士」などの彫刻が置かれている。
ここには、姫路城を始めとする兵庫県内の建造物の模型や、様々な出土品、仏像などを展示している。
姫路城東大柱は、昭和の大修理で傷んだ根元を交換したが、交換された東大柱の根元部分が展示してある。
割れた柱を鉄の輪で補強して、何とか使い続けていたのが分かる。
またフロアには、15分の1の姫路城天守の模型が展示してある。
兵庫県立歴史博物館は、1階、地階部分は無料である。ここだけでも結構見るものがある。
愛玩犬のように可愛らしい阿形の獅子、吽形の狛犬が展示している。鎌倉時代中期の作だ。鎌倉時代の愛犬家の彫刻師の作か。
地階には、兵庫県内の国宝建造物である、浄土寺本堂や鶴林寺太子堂、朝光寺本堂、一乗寺三重塔の模型が展示している。内部の木組みが見られるようにしてある精巧な模型だ。
これらの国宝建造物にも、これからの史跡巡りで出会うことになるだろう。その他にも、兵庫県内の廃寺から発掘された瓦などが展示されている。それらの写真は、今後の回で紹介しようと思う。
有料ゾーンの2階では、「へんがお」と題した展覧会が催されていた。仏像や絵巻や仮面などの様々な文化財の中で表現された表情を集めた展覧会である。写真撮影OKであった。
江戸時代の「酒呑童子絵巻」がユーモラスで面白かった。丹後大江山に住む酒呑童子という鬼を、源頼光と藤原保昌が退治するという物語である。
酒呑童子の手下の鬼が、源頼光から毒酒を振る舞われる場面だが、鬼の表情がユーモラスである。それにしても、現代の漫画よりも遥かに手の込んだ絵である。高価だったろうから、庶民が眺めることは出来なかったのではないか。
また、城好きにはたまらないかも知れないが、日本に現存する12天守の同一縮尺の模型が展示してあった。
こうして見ると、圧倒的に姫路城が大きいが、離れた場所に展示してあった江戸城天守模型は姫路城天守の倍くらいあった。しかし、大きいだけで美しさでは姫路城には及ばない。
兵庫県立歴史博物館から眺める姫路城天守も有名なアングルのひとつだ。
兵庫県立歴史博物館の北側には、姫路市立図書館があるが、2階に日本城郭研究センターがある。ただしここは観光地ではなく、内部を公開しているわけでもない。
そこから北東に行った姫路市野里慶雲寺前町に、慶雲寺という臨済宗妙心寺派の寺がある。
慶雲寺は、嘉吉三年(1443年)に創建された。開山時は、天台宗の寺であった。
慶雲寺には、お夏清十郎比翼塚があることで有名である。
お夏清十郎の悲恋話は、寛文年間に実際にあった話で、それを井原西鶴が「好色五人女」に書くなどして、世間に広まった。
室津の造り酒屋和泉屋の息子清十郎は、美男子であった。清十郎は、19歳で姫路の旅籠屋但馬屋の手代となるが、そこで但馬屋の娘お夏と恋仲となる。しかし、お夏の父但馬屋九左衛門は、二人の仲を認めない。お夏と清十郎は駆け落ちするが、すぐさま捕えられる。清十郎には店の大金を持ち出したという濡れ衣が掛けられる。清十郎は刑死し、清十郎の死を知ったお夏は狂乱して、そのまま行方不明となる、という話である。
この比翼塚は、二人の純愛に打たれた但馬屋が建てたものだとされる。
日本版「ロミオとジュリエット」といったところか。日本の封建時代には、家や出自のしがらみが悲劇の元となったが、しがらみが少なくなった現代には、悲劇が生まれる要素は少なかろう。
この二人にかける言葉は見つからないが、隣り合う2つの塚を見ると、何故か今は幸せそうだと感じた。