和久寺の集落から北を眺めると、山肌に大きく「大」と描かれた山が見える。京都五山と同じく、毎年8月16日に大の字に送り火が焚かれる姫髪山である。
この姫髪山の麓の京都府福知山市奥野部に、臨済宗南禅寺派の寺院、医王山長安寺がある。
第31代用明天皇の御代、聖徳太子の弟である麻呂子親王が、勅命により大江山の鬼賊退治に向かう途次、この地に立ち寄って戦勝祈願のため薬師如来像を刻み、奉祀した。
これが、今に続く長安寺の開基とされている。
平安時代末期に、薬師如来像を本尊として真言宗の寺院となり、金剛山善光寺と称した。
三重塔が建ち、25ヶ寺の坊を有していたが、応永年間(1394~1428年)に火災のため諸堂悉く焼け落ちた。
文明六年(1474年)、夢窓国師の法嗣である悦堂禅師が諸国巡錫の際、当地に立ち寄り、七堂伽藍を再建し、禅宗に改めて瑞鳳山長安寺と称した。
その後も戦乱が続き、寺は再度焼失したが、天正十三年(1585年)、初代福知山城主となった杉原家次が当寺に帰依し、眼光恵透禅師により再建され、医王山長安寺と名を改めた。
家次は、秀吉の正室寧々の伯父に当たる人物である。
また長安寺は丹波のもみじ寺としても知られる、秋の紅葉の名所である。
私が訪れたのは新緑の季節であり、楓の若葉の鮮やかな緑が風に揺られていた。秋には境内一面に色づく紅葉を見学できることだろう。
境内の石段を登っていくと、石垣が見えてきて、その奥に山門がある。
山門の手前には、霊木とされる大イチョウがある。福知山市の名木として知られている大木だ。
山門を潜ると、広々とした眺望が開ける。
正面に天明四年(1784年)に再建された大方丈が建つ。大方丈の手前には、「薬師三尊四十九燈の庭」と題された石庭がある。
庭園は、石の配置により、薬師三尊と薬師如来に捧げた四十九の信仰の燈を表しているという。
禅師の庭園は、悟りの世界を現わしているとも言われる。じっくり眺めると、心が洗われる気がしてくる。
大方丈の隣には、これも広壮な寺務所がある。
昔は、多数の禅僧がここで修業生活を送っていたものと見える。
本堂の本尊は、釈迦如来坐像である。その両隣に、普賢菩薩立像と文殊菩薩立像が安置してある。
大方丈の中は静かである。
釈迦の深く静かな悟りの世界のようだ。
大方丈の中には、杉原家次公の念持仏である地蔵菩薩立像が祀られている。
400年以上前の仏像でありながら、極めて色彩鮮やかである。近年補修を経たものであろう。
それにしても、長い歴史を経た禅寺が、この丹波の山中で、今も静かに時を刻んでいるということが、この世界に何がしかの充実を齎しているとは言えないだろうか。