本住吉神社奥宮の参拝を終え、神戸市東灘区住吉山手6丁目にある白鶴美術館に向かった。
白鶴美術館は、美術への造詣が深かった白鶴酒造7代目嘉納治兵衛が、所蔵する美術コレクションを収蔵展示するために、昭和9年に開館した私設美術館である。
その後も歴代理事長が美術品の寄贈を続け、現在では指定文化財多数を含む1,400点以上の美術品を収蔵している。
白鶴美術館が開館するのは、一年の内春と秋のみで、私が訪れた時は閉館していた。
白鶴美術館の収蔵品は、東洋の古美術が主で、特に中国の青銅器のコレクションが豊富である。
また、愚賢経残巻と大般涅槃経集解という2つの国宝及び22点の国指定重要文化財を収蔵している。
愚賢経残巻は、中国北魏で訳出された愚賢経の奈良時代の古写経で、元は東大寺に納められていた。堂々たる風格の書である。
聖武天皇が書写したものと伝えられ、「大聖武」とも呼ばれている。
大般涅槃経集解は、6世紀中国で訳出された大般涅槃経の解釈集を奈良時代に書写したものである。奈良時代の写経54巻に後世の補写経17巻を加えた全71巻が揃っており、貴重な文化財であるという。元は奈良の西大寺に納められていた。
平成7年には、本館の南側に、中近東の絨毯を収蔵展示する新館が建てられた。
白鶴美術館の本館、事務棟、土蔵、茶室は国登録有形文化財である。
白鶴美術館には、開館している春か秋にまた訪れたいものだ。
その白鶴美術館のすぐ西隣には、浄土宗の寺院、徳本寺がある。
徳本寺は、大正5年に徳本上人百回忌を記念して建てられた。
徳本上人は、宝暦八年(1758年)に紀州に生まれ、生涯を念仏修行と民衆の教化に捧げた僧侶である。
住吉村の豪商吉田喜平治は、徳本上人と結縁のある者であった。吉田は、河内国の聖徳太子の御廟にいた上人の下を訪れ、住吉村への来錫を請うた。
吉田の求めに応じ、上人は寛政十年(1798年)から3年間、今の徳本寺の背後に聳える赤塚山に草庵を建て、修行しながら村人を教化した。
徳本上人の教えは、南無阿弥陀仏と唱えて往生するぞという決意を持って、ひたすら高声に南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば往生間違いなしというもので、賢しらな智者達の観念的な教えを退けた。
上人は、学僧ではなく、専心に念仏修行する行者であったようだ。
徳本上人百回忌の年である大正5年に、徳本上人の遺跡が風化しているのを嘆いた宏誉上人により、徳本寺は開創された。
以前は、ここより山上に近いところに建っていたが、昭和13年の阪神大水害により倒壊し、現在地に移されたそうだ。
境内には、京の愛宕神社から勧請された火伏地蔵が祀られている。
愛宕神社の祭神に、火をつかさどる火産霊尊(ほのむすびのみこと)があることから、この地蔵は、住吉村を火災から防いでくれると信じられ、火伏地蔵と呼ばれた。
白鶴美術館は、酒造業で財をなした嘉納家が収集した文化財を収蔵展示している。
徳本寺は、住吉村の富豪の吉田喜平治が来錫を請うた徳本上人の遺跡である。
人格者は財を成すと、富を超える美術や宗教上の平安に、その財をかけたくなるものらしい。