保久良神社 

 徳本寺から東に行き、神戸市東灘区本山北町6丁目にある鷺宮八幡神社を訪れた。

鷺宮八幡神社

 鷺宮八幡神社の御祭神は、天照皇大神八幡大神春日大神である。

 この神社は、保久良(ほくら)神社の御旅所である。御旅所とは、本宮の神輿が神幸して休憩する場所である。

 毎年5月4日の保久良神社例大祭宵宮では、北畑、田辺、小路、中野の4地区のだんじり鷺宮八幡神社境内に宮入を行う。

鷺宮八幡神社拝殿

 5月5日の本宮では、保久良神社から降りてきた神輿が鷺宮八幡神社まで神幸する。

 保久良神社は、ここより北の山上にある。保久良神社から降りてきた神様は、ここで一休みし、一時開放的なお気持ちになられることだろう。

本殿

 さて、鷺宮八幡神社から保久良神社に向かって坂道を登っていく。車では登ることが出来ない細い道である。

 鷺宮八幡神社の西隣の有料駐車場に駐車して歩いた。

 保久良神社は、六甲山東端の天王山の頂上に鎮座する。地名では、神戸市東灘区本山町北畑にある。

天王山

保久良神社参道

 保久良神社の参道の坂道は急で、歩きながら汗が流れ落ちた。

 歩き続けて、ようやく保久良神社の鳥居の前に来た。

保久良神社鳥居

 鳥居と反対側には、眼下に神戸市街や、古代に茅渟(ちぬ)の海と呼ばれた大阪湾の眺望が広がっている。

保久良神社社頭からの眺望

 保久良神社の社頭には、古来から「灘の一つ火」と呼ばれ、灘の沖合を航海する船乗りに灯火により針路を示した石灯籠がある。

灘の一つ火

 保久良神社の祭神は、須佐之男命、大国主命、大歳御祖(おおとしみおや)命、椎根津彦(しいねつひこ)命である。

 須佐之男命は、日本では、牛頭天王と習合した。

 保久良神社の氏子が結成した北畑天王講の人々が、毎夜社頭の石灯籠に神火を点じ、航海者の目印とした。

 現在の石灯籠は、文政八年(1825年)に建てられたものである。

 鳥居の脇には、祭神の一柱、椎根津彦命の銅像がある。

椎根津彦命の銅像

 国つ神の椎根津彦命は、摂津国莵原郡(夙川の西から生田川の東まで)の統治を委ねられた。

 命は、多くの村里が見渡せて、同時に海から登る太陽を遥拝できる場所を、青亀に乗りながら海上から探した。

 そして天王山を見つけて、ここに住むことに決め、青亀を天王山麓の真下の海岸に着けて上陸した。

参道

 山に登った命は、身を清めた後、ここに大岩を並べて磐座(いわくら)とし、太陽を遥拝した。

 そして祖先神の須佐之男命、大国主命大歳御祖命を祀った。これが、保久良神社の創建説話である。

 更に一族の生活改善策として、土器を生産して農業発展を奨励し、火種の供給の場を起こし、多くの人に火力を与えたという。

 社頭に篝火を焚いて、航海者の安全のための一助とした。

拝殿

 これが、灘の一つ火の発祥である。

 丁度そのころ神武天皇の東征があった。

 神武天皇の東征を知った椎根津彦命は、青亀に乗って和田の浦の沖で釣りをしながら速吸の門(はやすいのと、明石海峡)で待機した。

拝殿

 やってきた神武天皇の船に釣竿を持って乗り込み、「われは国つ神。名は珍彦(うづひこ)」と名乗り、「皇船(みふね)の先導者にならん」と神武天皇の先導をすることを申し出た。

 その後、神武天皇に従って河内、紀伊、大和と転戦し、大和平定後は天皇により倭国造に任命されたという。

本殿

 保久良神社拝殿の前や、社務所の裏には、円形に巨石が配置されている。

 このような巨石群は、磐座(いわくら)と呼ばれ、神様が降臨する場所として太古から崇められた。

立岩

神生岩(かみなりいわ)

 社務所の裏にある巨石は、神生岩(かみなりいわ)と呼ばれている。

 天王山は、六甲山が出来る前に隆起した古生層で、山全体が水成岩で形成され、往古の姿を残しているという。

磐座

 これらの磐座のある場所からは、壺、甕、皿などの土器片や、鏃、斧などの石器類が出土している。

 弥生時代中期の遺物で、紀元前200~300年前にこの地で祭祀が行われていた証拠と見なされている。

磐座

 山中の巨石は、そこに神様が宿っていると思わせる威厳を持っている。

 私は最近、山の中の巨石に心惹かれている。

 神社の建物や鳥居よりも、巨石にこそ神様が宿っていると感じる。

 山と石、これは日本人の魂に刻まれた何かであろう。