3月12日に淡路の史跡巡りを行った。
今回訪れるのは、淡路島内の中心都市である洲本市の史跡である。
淡路には、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡が多くある。兵庫県洲本市安乎(あいが)町平安浦に、縄文時代前期から晩期にかけての遺跡である安乎間所(あいがまどころ)遺跡があるというが、現地に行っても遺跡があったことを示すものは何もない。
付近にある安乎八幡神社を訪れた。
境内を歩いたが、ここにも遺跡の存在を示すものはなかった。
縄文時代に淡路に集落があったということは、当時既に海を越える航海技術があったということになる。
ここから洲本市上内膳の先山にある真言宗の寺院、先山千光寺を目指した。
先山は、標高約448メートルの秀麗な形をした山で、その山容から淡路富士とも呼ばれている。
伊弉諾尊、伊弉冉尊の国生みの際に、淡路島の中で真っ先に作られたのがこの山だという伝承から、先山と呼ばれているらしい。
神話では、日本列島の中で最初に生まれたのが淡路島だから、先山は日本列島の中で最初に生まれた土地ということになる。
この先山の山頂にあるのが、真言宗別格本山の千光寺である。
山頂まで、狭いながら道路が続いており、車で参拝することが出来る。
千光寺は、淡路四国第一番霊場で、淡路十三仏第一番霊場でもある。創建は延喜元年(901年)である。
淡路を代表する霊場として、島民の信仰を集めている。
駐車場から歩くとすぐに「別格本山千光寺」と刻まれた石碑が見えてくる。
その先に、急な石段がある。
石段を登り切ると、正面に淡路十三仏の第一番の不動明王を祀る大師堂がある。
大師堂の蟇股には、弘法大師が中国大陸から投げると、日本まで飛び、高野山の松に引っ掛かったという飛行三鈷杵(ひぎょうさんこしょ)の彫刻が施されている。
大師堂の中に入ると、正面に不動明王と金剛夜叉明王のステンドグラスをはめ込んだ障子があった。
仏様のステンドグラスは初めて目にした。考えてみれば、仏様をどう表現しようが構わないのである。
大師堂に入って右奥に不動明王立像が祀られている。護摩行の設備はない。
不動明王像の右には胎蔵曼荼羅が、左には金剛界曼荼羅が掛けられている。
不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王を五大明王というが、この五大明王は、それぞれが大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の五智如来が変化した姿である。
衆生を叱咤激励して煩悩から生じる無明の闇から目覚めさせるため、憤怒の形相をしている。
信仰心から離れて観ても、明王像は格好いい。
大師堂の隣には客殿がある。江戸時代後期の建物だろうか。
客殿の先には更に石段がある。
この石段を登り切ると、舞台と言う展望のための建物がある。
舞台からは、先山の南側の眺望を楽しむことが出来る。
しかし春の霞に遮られて、下界の姿はあまりよく見えなかった。
舞台の先には更に石段があり、上に朱色の山門が見える。
山門の左右には、阿形吽形の仁王像が立つ。
山門を過ぎれば、千光寺の本堂や三重塔がある先山山頂に至る。
山上の仏教伽藍というものは、何とも心落ち着く場所である。