4月24日に丹波の旅をした。丹波篠山市の東半分を巡る旅である。
丹波の旅は、いつも雨の中だが、この日も降雨の中を歩いた。
最初に訪れたのが、兵庫県丹波篠山市日置にある磯宮(いそのみや)八幡神社である。
磯宮八幡神社は、承平三年(933年)に京の石清水八幡宮からこの地に勧請されたという。祭神は誉田別命である。
50社の末社を抱えていたので、五十宮(いそのみや)と称した。それがいつしか磯宮と呼ばれるようになったようだ。
この神社の境内南東側には、3本のハダカガヤが植わっている。
カヤはイチイ科の常緑高木であるが、ハダカガヤはその変種である。
通常カヤの実は固い殻に覆われているが、ハダカガヤの実にはそれがなく、渋皮のみである。そのため、ハダカガヤと呼ばれている。
足利尊氏が京で南朝方に敗れ、九州に落ち延びる際に、丹波を通過した。
伝説では、尊氏がその際磯宮八幡神社に立ち寄り、殻を剥いたカヤの実を神前に供えて武運長久を祈ったとされている。
その実が成長して、このハダカガヤになったという。
伝説の真偽は別として、ハダカガヤは植物学上大変貴重な種として、国指定天然記念物になっている。
磯宮八幡神社の境内に入ると、真ん中に絵馬殿がある。
絵馬殿に掲げられた黒馬の絵が、生きて動きそうで、印象的であった。
絵馬殿東側の社務所の建物が、なかなか大きくて古そうな建物であった。
ヒノキ材の一木造の彩色像で、下半身が太く重量感のある像であるらしい。
持国天、多聞天は、通常は脇侍仏であるため、この神社には元々本尊となる仏像があったことだろう。
この二体の仏像は、明治の廃仏毀釈までは、当社を管理する神宮寺に祀られていたようだ。
宝物庫の横には、護摩堂がある。
完全に寺院建築様式の建物である。護摩堂だから不動明王が祀ってあると思われるが、今このお堂の中に祀られているかどうかは分からない。
磯宮八幡神社は、天正七年(1579年)の明智光秀の丹波攻めの兵火により焼失した。
翌年には再建されたらしい。
その後の再建が無ければ、本殿は天正八年(1580年)築の筈である。この本殿の彫刻が見事であった。
そんなに古くて彫刻もいい本殿なら、国指定重要文化財になっていてもおかしくないが、この本殿は文化財には指定されていない。後世に更に再建されたのか、大規模に後補されたのか、理由があるのだろう。
ただ、本殿の一部の木材の風化具合は、かなり古いものに見えた。
本殿の外縁下には、鹿や鳥の彫刻が施されているが、どれも細かい浮彫細工で立派なものであった。
外縁の下は雨に当らないので、木彫り彫刻が風化せずに残ったのだろう。
脇障子の彫刻の裏に、これら彫刻群の作者と思われる人物の名が刻まれていた。
文字が薄れているが、「京都住人 細工 森竹和平治」と刻んでいるように読める。竹はあるいは村かも知れない。
職人が誇りをかけて彫った彫刻だろう。
雨の中参拝したからそう感じたのか、磯宮八幡神社は落ち着いた雰囲気の古社であった。
心の中に満足を感じながら参拝を終えた。