JR加古川線日本へそ公園駅を降りると、そこには、日本へそ公園がある。地名で言うと、兵庫県西脇市上比延町である。
日本の標準子午線である東経135度と、日本の領土の南端北端の中間である北緯35度が交差するこの場所が、日本の臍であるとして、日本へそ公園が整備された。
日本へそ公園駅を降りると、目の前に西脇市出身のイラストレーター横尾忠則氏の作品を収蔵展示する岡之山美術館がある。
岡之山美術館の東には、岡之山があり、その山上には岡ノ山古墳がある。
岡之山の周囲には、滝ノ上群集墳や、西岡群集墳といった古墳群が密集する。後刻訪れた西脇市郷土資料館に、古墳の分布図が展示されていた。
この図を見ると、岡ノ山古墳を中心にして、多数の古墳が岡之山を取り囲むように分布しているのが分かる。
岡ノ山古墳の被葬者が、地域のカリスマ的な存在で、その後に現れた豪族が、岡ノ山古墳の被葬者を慕って、その傍に埋葬してもらったかのような配置である。真相は分らない。
岡之山は、高さ約75メートルの、山というよりは大きな丘のような低山である。
その山頂部にある前方後円墳が、岡ノ山古墳である。
岡ノ山古墳は、西脇・多可地方唯一の前方後円墳である。全長51.6メートルで、前方部が細長い柄鏡式で、これは古い前方後円墳の形であるらしい。
古墳が山頂に築かれるのも古墳時代前期の特徴であり、築造年代は4世紀前半ではないかと言われている。
岡之山には、日本へそ公園にある地球科学館の裏から登ることが出来る。低山であるため、すぐに山頂に至る。
山頂が即ち古墳後円部の円頂である。そこから前方部を見下ろせば、前方後円墳の形がおぼろげに目の前に立ち現れる。
反対に前方部から後円部を見ると、ここが人工的に築かれた古墳であると感じることができる。
古代には、加古川に近い岡之山の麓一帯は水田が開け、その収穫のため、この近辺には集落が出来ていたものと思われる。岡ノ山古墳の被葬者は、集落を大きく発展させた人物だったのではないか。
岡之山の中腹には、東経135度と北緯35度が交差する地点を4本の柱で囲んだ「日本のへそ」がある。
岡之山の北西側の、岡之山美術館と駐車場の間の林の中に、滝ノ上群集墳がある。気を付けて見ないと、方墳、円墳と分らないような古墳ばかりである。
岡之山の東側の林の中には、西岡群集墳がある。私は林の中に分け入ったが、古墳に行きつくことが出来なかった。
後に西脇市郷土資料館で西岡群集墳のある場所を正確に知った。今でも周濠に水を湛えている円墳もあるようである。
岡之山から東方に約1.3キロメートル行くと、地域の鎮守である住吉神社がある。
住吉神社の鳥居は、両部鳥居であった。この鳥居から、本殿まで、清々しい参道が一直線に伸びている。
この神社に来ると、不思議と神様が私を歓迎しているように感じた。
本殿は、全国的に珍しい、正面が二間の、二間社流造である。正面に、本殿と一体化した切妻造りの拝殿がある。
この本殿は、棟札から、元禄四年(1691年)に、淡路綱村(現淡路市浦)の大工・平時貞によって建てられたことが明らかになっている。時貞は、播州北条の出身で、北条主馬介や北条播磨守時定とも名乗った。彼は、17世紀後半から18世紀初頭にかけて、今の兵庫県から京都府北部にかけて活躍した淡路綱村の大工集団に属し、その中でも特に活躍した大工であったらしい。
この神社は、本殿の形も慎ましく小ぶりで、境内の空気も清浄なものであった。
小さな地方の神社にも、優しい神威を感じる場所があるものである。