若王山無動寺 若王子神社 前編

 六條八幡宮から細い道を東に走ると、道の分岐に石碑のようなものが見えてくる。地名で言えば神戸市北区山田町福地になる。

 地元で新兵衛石と呼ばれている石である。

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新兵衛石

 徳川時代、第10代将軍家治の治世(1770年ころ)の時、京都所司代で当地の領主だった下総国古河藩主土井大炊頭(おおいのかみ)が、領内巡見に際して福地を通過した。

 その時、この石の陰に身を潜めていた庄屋の子、新兵衛が突然飛び出し、土井大炊頭に村の年貢の軽減を直訴した。

 直訴は大罪であった。新兵衛はすぐに捕らえられ、有馬の藩主宿所に拘引された。

 そこで新兵衛を尋問した土井大炊頭は、15歳の若さで理の通った弁明をする新兵衛の態度に感心して、罪を問うことなく釈放し、年貢の軽減も聞き届けた。

 村人は、新兵衛が直訴の時に潜んだこの石を、記念として後世に残すことにした。

 この新兵衛石から坂を上っていくと、真言宗の寺院、若王山無動寺に至る。

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無動寺参道

 推古天皇の時代に、聖徳太子物部守屋を討伐する際に、戦勝祈願のために仏師鞍作鳥(くらつくりのとり)に造らせた大日如来像を安置したのが、無動寺の始まりと言われている。

 戦に勝った太子は、この地に七堂伽藍を整備した。

 創建当初は普教(ふく)寺と称したと伝わっている。

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苔むす参道

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無動寺山門

 その後寺院は盛衰を経たが、記録が散逸してしまって詳細は分かっていない。

 現在の堂宇は、宝暦二年(1752年)に高野山の真源阿闍梨が、寺院の荒廃を嘆いて20数年の勧進努力をした結果再建したものであるらしい。

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本堂

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庫裡

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 本堂は、江戸時代中期の建物と思えないほど新しく見えた。

 庫裡は入母屋造の茅葺の建物で、こちらの方が時代を感じさせる。

 境内に宝篋印塔があったが、かなり古いものに見えた。

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宝篋印塔

 南北朝期のものに見える。どういういわれのものなのかは分からない。

 普教寺は、明治に入ってからの廃仏毀釈の際に、末寺と合併し、寺号を無動寺と改めたそうだ。

 無動寺には、国指定重要文化財となっている五体の仏像が祀られている。

 大日如来坐像、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、不動明王坐像、十一面観音立像である。いずれも平安時代に造られた木造の仏像である。

 当然そんな貴重な仏像は拝観出来ないだろうなと思って諦めかけると、ふと本堂に「国重要文化財五仏拝観できます」という張り紙が貼ってあるのに気付いた。

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本堂正面

 しかしどうも境内には人の気配がなく、無人に思えた。本堂正面に備えられた呼び鈴を押すと、暫くして寺のご婦人が本堂の戸を開けて出て来られた。

 拝観料は300円であった。お金を払って本堂の中に入った。

 国指定重要文化財の五体の仏像は、本堂の奥の巨大なガラス壁の向こう側に、大日如来坐像を中心に並んでいる。

 その左右に平安時代の作の多聞天持国天の像が侍している。

 こんな古い仏像が、時代を超えて現在まで複数残っているのは、感心すべきことだ。創建から江戸時代の再建までのこの寺院の歴史は分かっていないが、仏像を守るために並々ならぬ努力が払われたことだろう。

 本堂内は写真撮影不可だったので、無動寺ホームページに掲載されていた仏像の写真を掲げる。

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大日如来坐像

 五仏の中心に祀られている大日如来坐像は、木製の巨大な仏像で、非常に穏やかなお顔をされていた。

 印象的だったのは、不動明王坐像である。

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不動明王坐像

 爛爛と光る眼でこちらを見下ろしている。

 私は敬虔な気持ちになった。数珠を持たなかったが、五仏の前で線香を上げ、正座をして金剛合掌を結び、昨年亡くなった父のことを思いながら般若心経を唱えた。

 お経を唱えると不思議と静かな気分になる。ご婦人に礼を言って本堂を出た。