宝生院の見学を終え、レンタサイクルで西に走った。
土庄町渕崎に、土庄町立渕崎小学校があるが、ここは江戸時代後期に小豆島を領有した津山藩の代官所が置かれた場所である。
小豆島は、元和元年(1615年)から幕府直轄領であったが、天保九年(1838年)に西部六郷が津山藩領となった。
そのため、この場所に代官所が置かれ、版籍奉還の行われた明治2年まで、代官が常駐して政務に当たった。
地元の人はここを陣屋と呼んだそうだ。
今陣屋跡の石碑の建つ場所には、昭和まで陣屋の松と呼ばれた樹齢200年の松が植えてあったが、枯死してしまった。
平成27年に、3代目の陣屋の松が植えられ、現在に至っている。
しばしこの場に佇んで、時の経過を思った。
さて、陣屋跡から更に西に走り、小豆島八十八箇所霊場の第57番札所の浄源坊を訪れた。
浄源坊は、恵心僧都の作と伝わる子安地蔵菩薩坐像を本尊として祀っている。
安産や子供の無事な成長といった願いを叶えてくれるという。
8月23日と毎月24日に公開されるそうだ。
本堂の隣には、薬師堂がある。中を見てみたが、薬師如来像は見当たらず、様々な仏像が安置されていた。
浄源坊の境内には、香川県指定文化財の浄源坊のウバメガシがある。
ウバメガシは、本州中南部や、四国、九州の海岸地方に分布する広葉常緑樹で、庭木や生垣によく利用される。
小豆島でも至る所に自生している。土庄町の町木である。
浄源坊のウバメガシは、小豆島を代表するウバメガシの老樹である。
それにしても、四国八十八箇所霊場の掛け軸を見ると、必ず各霊場の御朱印の中央に弘法大師像が描かれている。
この石碑も、まるで弘法大師が各霊場の本尊を率いているかのような刻まれ方である。大日如来や阿弥陀如来や薬師如来や観音菩薩や不動明王と同一の仏様として扱われている。
日本の宗派の祖師で、ここまで「生きた仏」として扱われた人物はいない。また、これほど民間信仰に取り入れられた人物はいない。
真言宗の文化圏である南海道の史跡巡りを続けるうちに、弘法大師空海がなぜこれほど信仰されてきたのか、その謎が解けるだろうか。