倚松庵は2階建てである。1階廊下の中央に階段が付いている。
階段は、当時の日本家屋のものにしては、それほど急ではない。
2階には、東から順に8畳和室、6畳和室、4.5畳和室の3部屋がある。
階段を上がると2階の廊下があり、この廊下がそれぞれの部屋に接続している。
東側の8畳和室は、「細雪」の始まりの場面で描かれた部屋である。
「細雪」の始まりの場面はこうである。
「こいさん、頼むわ。ー」
鏡の中で、廊下からうしろへ這入つて来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけてゐた刷毛を渡して、其方は見ずに、眼の前に映つてゐる長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据ゑながら、
「雪子ちやん下で何してる」
と、幸子はきいた。
「悦ちやんのピアノ見たげてるらしい」
「こいさん」とは、当時大阪船場あたりで、末娘を「小娘(こいと)さん」と呼んでいたのが、縮まって「こいさん」になったものである。
四姉妹の末娘の妙子を、姉たちは「こいさん」と呼んでいた。
この8畳間は、作品の中で姉妹が化粧をしたり着物を着たりするのに使った化粧部屋である。
2階廊下から化粧部屋に入ろうとする妙子の姿を、鏡台に向かっている幸子が鏡の中に認め、妙子に声をかけて、襟首から肩にかけて、刷毛で白粉を塗ることを頼んでいる。
となると鏡台は、廊下からの入口の真南に据えてあったことになる。
その日は、幸子、雪子、妙子の3人で音楽会に出かける日である。
叔母の雪子になついている悦子は、女中と共にお留守番である。先に身支度を整えた雪子は、応接間で機嫌を損ねた悦子のピアノのお相手をしている。
この後に続く、数ページの何気ない描写の中に、主な登場人物の名と家族の中での綽名、お互いの関係が出尽くしている。驚くべき技量である。
2階中央の6畳間には、谷崎の著作や書簡、阪神大水害の説明資料などが展示してある。
谷崎の作品は、女性への賛美や憧れを描いたものが多く、男性はどちらかというと女性に跪く存在として書かれている。
私は谷崎作品に行動的な男性があまり出て来ないのを物足らなく思うが、「細雪」はその例外である。
昭和13年7月5日に発生し、阪神地方に大被害を齎した阪神大水害の様子が、全編の一種のクライマックスのように描かれている。
六甲山は、御影石という石を産することで有名だが、山体全体が岩で出来ていて、昔は大雨が降ると岩の上の土が濁流となって麓になだれ落ちた。
昭和13年の阪神大水害でも、大量の水を含んだ土砂が六甲山から滑り落ち、神戸阪神間の町を襲った。
この濁流の描写がダイナミックかつ雄渾で、主に女性たちの華やかな生活を描いた「細雪」に精彩を与えている。
また、アパートの一室に取り残され、部屋ごと水没しそうになった妙子を板倉が命賭けで救出するところは、谷崎が作品で珍しく勇敢な男性を描いた場面である。
さて、「細雪」の主軸をなしていた雪子のお見合いだが、作品の最後でようやく子爵家の庶子との縁談が纏まり、2階西側の6畳(実際は四畳半)のかつての雪子の部屋に嫁入り道具や親類からの進物が並べられることになる。
雪子が挙式を控える一方、三好というバーテンダーの子を宿した妙子は、ひっそりとこの家を出て行った。子は逆児で、死産となった。
こうして作品の主軸と第二の軸に結末がついた。
倚松庵2階西側の四畳半には、立派な欅の文机が縁側に向けて置かれている。
「細雪」を読むと、貞之助の書斎は離れにあったと書いている。今の倚松庵には離れはない。
谷崎もここではなく、静かな離れで作品を執筆したことだろう。
倚松庵は、名作「細雪」と一体となった建物である。
ここにいると、今でも昭和初期の姉妹たちの息遣いが聞こえてくる気がする。