豊岡市 亀ヶ城跡 後編

 曲輪Ⅱの北西側にある小さな曲輪を西に進むと、大きな堀切がある。

堀切(曲輪Ⅱ側から曲輪Ⅰ側を見下ろす)

堀切の底

 この堀切は、曲輪Ⅱと曲輪Ⅰの間を隔てている。城の東西の丁度中央に当たる。

 写真ではこの堀切の大きさはなかなか伝わらないが、初めて見た時は、思わず嘆声を漏らした。

 堀切には、自然の尾根を切断して、尾根伝いに攻め難くする役割がある。この堀切があれば、城の東側が陥落しても、城の西側は暫く耐えることが出来る。

 この堀切の北側には、帯状の曲輪がある。

帯状の曲輪

 さて堀切を越えて西にある、曲輪Ⅰ側に取りつく。

曲輪Ⅰ側の切岸

 曲輪Ⅰ側に登って振り返ると、堀切から曲輪Ⅱ側に登る切岸の方が傾斜が急であることが分る。

曲輪Ⅰ側から曲輪Ⅱ側を見る

 さて、曲輪Ⅰ側に登って西に進む。曲輪Ⅰは、堀切を越えて少し西にある一段高くなった曲輪である。

曲輪Ⅰに向かって西進する

 上の写真奥の切岸が、曲輪Ⅰの切岸である。曲輪Ⅰの上は、標高172メートルで、亀ヶ城跡の最高部である。

曲輪Ⅰ

 曲輪Ⅰは、広々とした曲輪である。

 更に西に進むと、曲輪Ⅰの西端に土塁がある。

曲輪Ⅰ西端の土塁

 この土塁の西側に堀切があるだろうと思って登ると、果たして巨大な堀切があった。

 先ほどの堀切より、遥かに規模が大きく、深い。感動のあまり覚えず声が出る。

 ここで滑落すると、堀切の底まで転がり落ちるだろう。

巨大な堀切

 この巨大堀切の切岸の斜面があまりに急だったため、下りることが出来なかった。

 曲輪Ⅰ北側にある帯曲輪には、まだ下りやすかったので、帯曲輪から迂回することにした。

曲輪Ⅰ北側の帯曲輪

 さて、巨大堀切の底に降り立ったが、すり鉢の角度を思わせるほど急な斜面に挟まれた堀切であった。

巨大堀切の底(北から南)

巨大堀切の底(南から北)

 さて、巨大堀切の西側には、切岸がそそり立っているが、その上は曲輪というよりは土塁である。その周囲を畝状竪堀が取り巻いている。

 竪堀とは、山の斜面に対して竪に掘られた空堀のことである。

 この空堀の間が、田んぼの畝のように土が盛り上がっている竪堀を、畝状竪堀という。

 巨大堀切の南北に、畝状竪堀があった。

巨大堀切北側の畝状竪堀

 畝状竪堀があると、麓側から斜面を登って攻め上がってくる敵兵は、竪堀に足を取られ、左右に動きにくくなり、城兵に狙い撃ちにされる。

 有効な防御機構である。

巨大堀切南側の畝状竪堀

 さて、巨大堀切の西側の切岸に登る。ここは、曲輪というより、高い土塁のようなものである。

巨大堀切西側の切岸の上

 ここから東側の巨大堀切を見下ろすと、途方もない急斜面が形成されているのが分る。

西側から見下ろす巨大堀切

 ここから西を見下ろすと、もう一つ堀切がある。

城跡西側の堀切

 この西側の堀切の先が、城の西端になる。

 この西側の堀切の北に、4本の畝状竪堀がある。

城跡西側の畝状竪堀

 東西を堀切に挟まれ、西側に畝状竪堀に囲まれた土塁を持つ曲輪Ⅰは、やはり亀ヶ城跡で最も防御の堅い場所である。この曲輪が城の中心だったのだろう。

 亀が城跡は、規模の大きな堀切や畝状竪堀、土塁を見学できる本格的な山城である。

 これ程の城跡が、ほとんど注目されずにいるのがもったいない。

 主郭部分に石垣がある城は、観光地として人気が出る。だが石垣のある城は、秀吉による平定後に出てきた、外見を優先した新しい城である。

 土だけで防御機構を築いている山城こそ、戦闘経験の豊富な戦国時代の山城である。

 戦いを閲した素朴な佇まいの土製の山城こそ、魅力的な城跡である。