神戸市 泉隆寺 歓喜寺

 竹中大工道具館を後にして、炎天下の中、北東に歩く。

 神戸市中央区中尾町にある浄土真宗本願寺派の寺院、超音山泉隆寺を訪れた。

超音山泉隆寺

 泉隆寺は、弘長二年(1262年)に真言宗の僧侶、西順によって開基された。

 文明三年(1471年)、本願寺第8代蓮如上人がこの地を訪れ、住職円性を教化して浄土真宗の寺院になった。

蓮如上人の銅像

 境内には、蓮如上人が腰かけたとされる腰掛石や、蓮如上人の歌碑がある。

蓮如上人腰掛石

蓮如上人の歌碑

 蓮如上人は、衰退していた本願寺を再興した浄土真宗中興の祖と言われている。なかなか精力的な人物だったらしい。

 加賀の一向一揆で領主が自刃に追い込まれ、加賀が一向宗の国になったのは、蓮如上人の時代である。

泉隆寺本堂

 泉隆寺の本堂は、鉄筋コンクリート製である。本尊は阿弥陀如来だ。

 私の母方の家系の宗派は浄土真宗であるが、私にはどうも自分の運命を阿弥陀如来の本願に委ねるという他力の考え方に馴染めない。

 自分の運命は自分で切り拓きたい。その「自分」が存在するのが妄想に過ぎないことは大乗仏教が教えているところだが、もしそうだとしても、自力で進んで行きたい。これは人間の意地というものに近い。

 思えば釈尊も、他人の思想に身を委ねることを諫めた。あくまで地に足をつけた自己の瞑想から覚者になることを勧めた。

 しかし他力の考え方からすれば、私のような考え方は、井の中の蛙の傲慢な考えなのだろう。阿弥陀如来の本願にひたすら縋る浄土真宗絶対他力は、信仰の最も純粋な形と言える。

 さて、この泉隆寺は、かつては若菜寺とも呼ばれていた。門前に、若菜の里址と刻んだ石碑がある。

若菜の里址の碑

 かつて宮中では、毎年正月の人日(じんじつ)の日(旧暦1月7日)に、春の七草粥を食べる習慣があった。

 この地は、春の七草の一つで、若菜と呼ばれた大根の名産地で、ここで収穫された大根が、宮中に献上されていた。

 泉隆寺では、今でも毎年1月7日に若菜法要を営み、参詣者に若菜粥を振る舞うという。

 泉隆寺から東に歩く。神戸市中央区中島5丁目にある曹洞宗の寺院、秋葉山歓喜寺に赴いた。

秋葉山歓喜

 歓喜寺は、明治30年に若林鉄心によって創建された。

 本尊の木造十一面観音立像は、平安時代の一木造の像で、周防国岩国藩吉川監物の念持仏であったと伝えられる。

 国指定重要文化財である。

 歓喜寺は、大東亜戦争の際に焼失し、今の伽藍は鉄筋コンクリート製である。門扉に近づいただけで電子の警告音が鳴り響いた。こちらに防犯カメラが向けられている。

 厳重に守られたお寺だ。私は歓喜寺を後にして、神戸ムスリムモスクの近くの駐車場に駐車しているスイフトスポーツに向けて歩き始めた。