福知山市 法鷲寺 常照寺

 久昌寺の南隣には、浄土宗の寺院、霊光山法鷲(ほうじゅ)寺がある。福知山市下紺屋町にある。

 この法鷲寺の山門も、かつて福知山城の城門として使われていたものである。

霊光山法鷲寺

 法鷲寺山門の軒桁より上は、鬼瓦を除いて新しい部材で補修されているが、下は建築当時の部材のままである。

法鷲寺山門

 福知山城の貴重な遺構の一つだ。

 法鷲寺の開山は、永禄十一年(1568年)である。

 豪族千葉氏の出である実誉上人が、現在福知山市呉服町の明覚寺がある場所に寺を開いた。寛文十年(1670年)には、現在地に移った。

本堂

 文化四年(1807年)、安政四年(1857年)に火災に遭い、明治29年、同40年、昭和28年の大水害で損傷を受けた。

 後々紹介するが、福知山は水害の多い町である。市内の寺院は、度々水没した。

 法鷲寺の本尊は、阿弥陀如来像である。

本堂内陣

本尊阿弥陀如来

 また、境内には、弁才天やお稲荷さんを祀っている。

境内の弁才天と稲荷明神を祀る祠

 同じ念仏宗でも、浄土真宗と異なり、浄土宗には神様に祈るという習慣があるようだ。

 法鷲寺の更に南には、日蓮宗の寺院、宝珠山常照寺がある。地名で言えば、福知山市菱屋にある。

宝珠山常照寺

 この寺の創建は古く、延慶三年(1310年)である。

 大善阿闍梨日範上人が、題目修行のための全国行脚中、今の福知山市和久市にあった真言宗の寺院、宝珠山金胎寺に立ち寄った。

 そこで、寺主照国坊と問答論議を行い、開悟得道させ、日蓮宗に帰依させ、寺号を常照寺に改めさせたという。

本堂

本堂の鳳凰の彫刻

 常照寺は、山陰八カ国で初めての日蓮宗の寺院となった。

 万治二年(1659年)に、日量上人が藩主松平忠房に請願して寺を現在地に移築した。

 この寺も、何度も火災や水害に遭ってきた。

 日蓮宗の寺院の開創伝説には、他宗派の僧侶を論破して改宗させたというものが多い。

 日蓮上人を始め、日蓮宗の僧侶は議論好きであったと見える。

日蓮上人の銅像

 また境内には、妙見大菩薩を祀る妙見堂がある。

妙見堂

日蓮上人坐像と妙見大菩薩

 妙見菩薩は、北極星を神格化したもので、中国で誕生した仏教天部の神様である。

 下総の武士の千葉氏が、妙見菩薩氏神とし、領地に妙見宮を建てて祀った。

 千葉氏が日蓮宗に帰依し、日蓮妙見菩薩を重視したので、日蓮宗の寺院では妙見菩薩が祀られるようになった。

 妙見菩薩は武神とされ、御利益は国家護持である。「立正安国論」を書いて、他国からの侵略を予告した日蓮上人が重視しそうな神様である。

 様々な神仏が祀られる日本列島は、豊かな曼荼羅のような世界である。