竹中大工道具館 その4

 竹中大工道具館には、日本だけでなく、中国やヨーロッパの大工道具も展示してあった。

 故宮博物院の太和殿の斗栱を復元したものが展示されていた。

故宮博物院太和殿

太和殿の斗栱の復元

 この巨大な建造物が木造建造物だとは知らなかった。斗栱の下に更に横木が渡してあり、斗栱を下から支えている。膨大な屋根瓦の重量を支えるための工夫だろうか。

中国の大工道具

 中国の大工道具は、日本の大工道具の源流である。

 文化が国境を越えるのは難しいが、道具は易々と国境を越えて伝わる。人間はつくづく道具が好きな生き物だ。

 ヨーロッパの大工道具も展示してあった。ヨーロッパと言えば、石造建築のイメージが強いが、中欧や北欧では木造建築が主流だった。

エスリンゲン市庁舎

 写真のエスリンゲン市庁舎は、1430年に建てられたドイツの木造建築である。

 風見鶏の館で紹介した、木組を外壁上に見せるハーフティンバーが多用されている。

ハーフティンバーの模型

 確かにハーフティンバーのような木組みは東洋にはない。

 大航海時代以降に活躍した大型帆船も木造だったわけだから、ヨーロッパの木材加工技術は、相当進んでいたことだろう。

ヨーロッパの大工道具

 ヨーロッパの木材と言えば、硬いオーク材(楢)を思い浮かべる。それを加工する道具もどことなく大きくごつく感じる。

 さて、大工道具の世界にも名工が数多く存在したようだ。

 明治後期から昭和初期にかけての大阪の名工梅一の叩き鑿は、曲線が何ともセクシーだった。

 梅一は、加賀の刀鍛冶清光の系譜に連なるそうだ。

梅一の鑿

名工の仕事場の復元

 どんな世界にも、一流の道具というものはあるものだ。

 組子細工という、木材で造られた明き障子が展示してあった。

組手

 組子細工は、細く薄い組手(くて)と呼ばれる棒状の部材を、釘や糊を使わずに組み合わせて作られている。

 展示されていた組子細工は、檜、杉、朴、漆、サンチン、神代杉、神代桂、神代欅を素材とした、色の異なる組手を組み合わせてアラベスク模様が組み立てられている。

 これを遠くから眺めると、風景が浮かび上がって見える。

組子細工

 それにしても驚くべき技巧だ。

 また、竹中大工道具館には、展示スペースに数寄屋建築一軒分の骨格が丸々展示されていた。

数寄屋建築

 数寄屋建築とは茶室のことである。室町時代には、格式ばった書院造が登場したが、茶人たちは軽妙で質素な造りの数寄屋建築を建てて茶室にした。

 確かに細い柱と竹で組み立てられた数寄屋建築は、自然との間に隔てがないような建築物だ。

 茶室の土壁の厚さは1寸4部(42ミリメートル)しかなく、柱と柱の間をつなぐものは、間渡竹という横に渡した竹と、髭子という土の中に塗りこめられた細い竹しかない。

茶室の土壁

 薄い土壁を作るには、非常に繊細な技術がいるらしい。隙間が空かずひび割れないように、細心の注意を払って土が塗られていく。

 この数寄屋建築のような建物は、日本以外には存在しないだろう。日本の自然の素材をそのまま使用した繊細な建築物である。

 この世を仮の宿とする禅と共通する茶道の精神を現した建物だろう。

 竹中大工道具館を見学できたことは、史跡巡りの中で転機になった。古い木造建築が造られるところを想像することは、史跡巡りの視点を豊かにしてくれる。

 このような大工道具の殿堂を公開した竹中工務店には、感謝したい。