何気なく行き過ぎる景色の中にも、突然メルヘンのような風景が現れることがある。
私にとって、JR美作滝尾駅舎はまさにそういう風景だった。
津山市と鳥取市を結ぶJR因美線は、山間の小さな集落の間を縫うように走るローカル線である。
津山市堀坂にある美作滝尾駅舎は、そんなJR因美線の数ある小さな駅の中の一つである。
美作滝尾駅は、国鉄因美南線(津山ー美作加茂間)が開通した昭和3年(1928年)に設置された駅である。90年以上前の駅舎だ。
木造平屋の切妻屋根、釉薬桟瓦葺きの建物である。現在は、国登録有形文化財となっている。
そもそも駅は、旅情をかき立てるものである。私には鉄道趣味はないが、特に田舎の駅のホームには詩情を感じる。そこで、名も知られぬ多くの人たちの人生のドラマの一場面が演じられ続けてきたことを感じるからである。
私も学生生活を終えて、初めて職場に向かった日、地元の駅から電車に乗ったが、その時の閑散としたホームの様子をよく覚えている。傍から見ればいつもの平凡な景色だが、自分にとっては人生の出発の光景だったのである。
駅は様々な人の気持ちが錯綜している場所である。電車の中の人たちそれぞれが、何と多くの思いを胸に秘めて、黙って電車に揺られていることか。
美作滝尾駅は、今は無人駅だが、地元の人たちが毎週日曜日に清掃しているおかげで、古い駅舎ながらも清潔に保たれている。
駅構内のベンチで、昔女学生たちがはしゃいだりしていた情景が胸に浮かんだ。
当駅は、平成7年に撮影された映画「男はつらいよ寅次郎紅の花」の冒頭の、渥美清と関敬六が中国勝山駅までの切符を買うシーンで撮影された。
山田洋次監督が、寅さんが似合う風景として美作滝尾駅を気に入り、ロケ地に決まったという。
無人駅なので、今は駅員室は使われていないが、駅員がちょっと出かけているかのように、つい今しがたまで人がいたような雰囲気である。
美作滝尾駅の木製改札口は、JR西日本管内でも珍しいものらしい。
無人駅となった今では、この改札口で検札する駅員もいない。
ホームに出れば、一気に詩情が押し寄せる。
線路がどこまでもつながっていて、ここから未知の旅が始まる。そんな思いを抱かせる。
ホームに落ちる日の光というものは、何時見てもいいものだ。
この古い木造駅舎を見ると、冬は雪に閉ざされるであろう山間の小駅である故に、どことなくメルヘンの世界の風景のように見える。
あるいは春の暖かさと花盛りの中で見るべきか。
さて、美作滝尾駅から北上し、津山市吉見の医王山城跡に赴いた。麓には真言宗の岩尾寺があって、正月の護摩焚きの儀式をしていた。
医王山城は、祝山城、岩尾山城とも呼ばれた。標高343メートルの医王山に築かれた中世の山城である。
往古、上道是次が築城したと伝えられる。
南北朝期には、赤松氏と山名氏との間で争奪戦が行われた。
天文十三年(1523年)には、尼子氏が奪取し、美作侵攻の拠点とした。
天正八年(1580年)には、籠城する毛利氏と宇喜多、織田(秀吉)連合軍の間で攻防戦が行われた。
その後、秀吉と毛利氏の和議により、医王山城は宇喜多氏の領有となった。
途中堀切があったが、ちょっと分かりにくい堀切であった。
意外とあっけなく本丸跡まで登ることができる。本丸跡西側には、版築土塁と石垣が残っており、古い山城であったことを実感する。
本丸跡から見下ろす景色はなかなかのものだ。
遥かに美作に広がる丘陵を一望することが出来る。
都市の風景にも良さがあるが、地方の風景にも良さがある。人間たちが手を入れて切り拓き、人々が生活をする中で古くなった景色は、人々の思いが詰まっている分、味があって良いものである。