赤穂ところどころ

 赤穂シリーズも今回で終わりである。

 赤穂城のすぐ隣にあるのが、赤穂市立歴史博物館である。建物を裏から見たら、蔵を並べたデザインをしている。

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赤穂市立博物館

 かつて赤穂は潮の干満を利用した塩田による製塩が盛んであった。歴史博物館には、製塩用具や製塩に関する資料が豊富に展示してある。

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塩廻船

 しかし、私が赤穂の名産の中で、塩よりも全国的に知られて欲しいのは、赤穂段通である。

 赤穂段通は、赤穂出身の児島なかが明治7年に商品化したもので、明治大正期には、高級織物として全国に流通していた。

 戦後、廃れてしまったが、平成に入って赤穂市が赤穂段通織方技法講習会を開き、大正生まれの織り子が伝承した技を受講生に伝承させたことにより、復活した。古段通も流通しているが、現在でも新品を買うことができる。

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赤穂段通

 赤穂段通のデザインは、中華風なようで和風であり、レトロなようでモダンである。昔は、京都の名家でも、お客が来る時しか玄関に敷かなかったと言われている。

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赤穂城模型

 歴史博物館に2階に行くと、赤穂城の模型がある。こうして模型を俯瞰してみると、いかに防備に腐心した城だったかがよくわかる。

 更に2階には、「仮名手本忠臣蔵」の浮世絵が多数展示してあった。江戸時代には、元禄赤穂事件を大っぴらに賞賛することが出来なかった。

 歌舞伎作者が、舞台を「太平記」の時代に設定し、大石内蔵助を大星由良助という変名で登場させ、中身はまんま元禄赤穂事件という台本が、「仮名手本忠臣蔵」である。元禄赤穂事件忠臣蔵と呼ぶようになったのは、ここから始まる。

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仮名手本忠臣蔵の浮世絵

 幕府に押さえつけられていた江戸時代の民衆にとって、元禄赤穂事件は胸のすく快挙だったのだろう。

 さて、赤穂城を西に行くと、赤穂市立民俗資料館がある。

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赤穂市立民俗資料館

 この建物は、明治41年(1908年)に完成し、塩の専売公社赤穂支局として使用されていた。昭和57年から、民俗資料館として開館している。瀟洒な洋館である。

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 中には、明治大正昭和期の生活用具が展示されている。生活用具といっても、私が生まれる前の物が大半で、懐かしさを感じることはなかった。

 驚いたのは大正時代の蠅とり器である。

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大正時代の蠅とり器

 ゼンマイで回転する部分に甘い液を塗り、そこに集まった蠅を捕獲するという機械だ。虫との戦いは、人類の歴史とともにある。

 赤穂城大手門から北に上がると、花岳寺がある。ここは、曹洞宗永平寺の流れを汲む寺で、歴代赤穂藩主の菩提寺である。

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花岳寺本堂

 本堂に入って天井を見上げると、巨大な虎の絵が天井に貼ってある。赤穂出身の画家法橋義信筆「竹に虎」である。

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竹に虎

 拝観料を払うと、義士墓所、義士宝物館、義士木像堂などを見学できる。

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義士墓所

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戒名の上の刃の字

 義士墓所には、浅野内匠頭と四十七士の墓石が並んでいる。義士の戒名の上には、切腹して死んだ人につける刃の字がある。

 義士墓所の裏には、義士宝物館がある。ここは撮影禁止だったので、写真は撮らなかったが、大石内蔵助吉良上野介のとどめを刺した鎧通しや、17世紀に作られた赤穂城の模型などが展示してあった。

 義士木像堂には、18世紀に造られた、四十七士の木像が展示されている。誰が作った物かは不明である。

 花岳寺を出て、南に進むと、虫籠窓のある古い民家が立ち並ぶ地区に出る。

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赤穂の町並み

 こうして見てみると、スイフトスポーツは、古い日本の街並みによく似合う。ヨーロピアンな外観だが、やはり日本の風景の方が良く似合う気がする。赤穂での長い時間を付き合ってくれた愛車に感謝する。