酒垂神社の参拝を終え、三田市大川瀬の氏神である住吉神社に赴いた。
鮮やかな朱色の両部鳥居を潜り、石段を上がると、広々とした境内がある。
住吉神社の祭神は、住吉三神の上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命である。
航海の神である住吉神社が、海のないこの地に祀られている理由は、恐らく昔この辺りが住吉大社の社領地だったことを示すだろう。
さて、住吉神社で貴重なものは、国指定重要文化財の本殿と、兵庫県指定文化財の舞殿である。
本殿前にある拝殿は、そう古いものではなさそうだ。明治以降の建物だろう。
拝殿の中央には回廊が通り、正面から本殿に対することが出来る。拝殿は、本殿を際立たせるための建築のようだ。
本殿は、三間社流造、檜皮葺のオーソドックスな形式である。
この本殿は、棟札の写しなどにより、文永二年(1265年)に大工日原氏が建立したものと伝えられている。
棟札の年代が正しいとすれば、鎌倉時代中期に建立された本殿ということになる。
とすれば、私が今まで史跡巡りで訪れた神社建築の中でも、有数の古さである。
近年では、他の古文書に記載された、貞治四年(1365年)の上棟という説が正しいと言われ始めている。
そうだとしても、神社建築の中ではかなり古い建物であることに変わりはない。
本殿は、昭和47年に半解体修理が行われ、その際基壇の石組みが創建当初のものに復元された。
拝殿の前には、江戸時代初頭に建てられた舞殿がある。
舞殿は、入母屋造、茅葺の建物で、元々拝殿として使用されていたが、江戸時代に移築され、以降舞殿として使用されている。
寛文年間(1661~1673年)から毎年舞殿では奉納能が上演されている。
舞殿には、能楽堂の橋掛かりに相当する屋根付きの回廊がつながり、それが吹き抜けの建物に続いている。
能を上演する時は、この吹き抜けの建物に演者や囃子方が待機するのだろう。
神社境内にある舞台は、祭神に神楽や能や歌舞伎を奉納するために設置されている。
毎年神社で行われるお祭りも、祭神に喜んでもらうために行われる。
目に見えない神様に、何かを捧げたいという気持ちは、人類共通の信仰心である。これは人類以外にはないものである。
人類という生物の種に、なぜこのような信仰心が芽生えたのか、不思議と言えば不思議である。