富丘八幡神社の参拝を終え、レンタサイクルで北に走り、香川県小豆郡土庄町北山にある真言宗の寺院、皇踏山吉祥寺宝生院を訪れた。
この寺を訪れた目的は、国指定特別天然記念物の、宝生院のシンパクという巨樹を見学するためである。シンパクは、真柏と書くのだろう。
国指定特別天然記念物は、文化財保護法により、天然記念物の中でも世界的又は国家的に価値が高いものとして特別に指定されたもので、21種類の動物と30種類の植物、20種類の地質・鉱物、4件の特別保護区域が指定されている。
特別天然記念物の動物で有名なものに、トキ、タンチョウ、コウノトリ、イリオモテヤマネコなどがある。
当ブログでは、特別天然記念物のコウノトリとオオサンショウウオが生息する地域は訪れている。
コウノトリは、兵庫県豊岡市の史跡巡りで偶然目にすることが出来たが、動物の特別天然記念物を目にするのは難しい。
だが動物以外の特別天然記念物は、場所を移動しないので、訪れれば見学することが出来る。
宝生院のシンパクは、当ブログで初めて紹介する植物の特別天然記念物である。
私が初めて目にする特別天然記念物の植物でもあるが、その巨大さだけでなく、樹勢と生命力の強さに圧倒された。
今までの史跡巡りで目にしてきたものを思い浮かべて見たが、この宝生院のシンパクを超えるインパクトのものはなかったのではないか。
宝生院のシンパクは、地元では、第15代応神天皇が小豆島に御幸をした際に、皇踏山に登り、山の南麓の小高い場所に植えたものと伝えられてきた。
応神天皇が在位したのは、西暦400年前後である。大正時代の中頃、植物学の大家本多静六が調査したところ、宝生院のシンパクは樹齢1500年以上ということだった。
今から約100年前の大正時代中頃から1500年以上前というと、概ね西暦400年頃になる。
科学的調査の結果と応神天皇の御手植え伝説の年代が、奇しくも一致したわけだ。
樹齢1600年以上という古い植物には、私も初めてお目にかかった。
シンパクは、ヒノキ科ビャクシン属イブキの別名で、日本の中部以南の海岸近くに自生する。
宝生院のシンパクは、樹高16.9メートル、根本の周囲が20.94メートル、地上約1メートルで、北、南、西の三方に幹が分かれている。
シンパクとしては当然ながら日本一の大きさと古さで、世界的に見ても恐らく一番だろう。
さて私は、この大シンパクに近づいて、覚えず嘆声を上げた。
おおおおおおおおおお、これは。
嘆声しか出ない圧倒的生命力である。この巨木の前では、日本の歴史も、いや人類の歴史も霞んで見える。
ところで、宝生院のシンパクには、3つの霊獣が潜んでいるという。
一つ目は、西側の支幹に潜んだ龍である。
途中で切断された枝の中の空洞が、龍の目に見えるというわけだろう。
宝生院のシンパクは、大きく3つの支幹に分かれているが、それぞれの支幹1本で、通常の大木の太さはある。
それぞれの支幹は、地面に立てられた支柱で支えられている。これがなければ、流石に自らの重さに耐えかねて、倒れてしまうだろう。
さて、西側の支幹と南側の支幹の間からは、第二の霊獣象が見える。
それにしても、木肌が巨大生物の鱗のように複雑な曲線を描いていて、凄まじい存在感を出している。
南側の支幹も屈曲した枝が幾重も延びて、圧倒的な力を感じさせる。
南側の支幹から東側には、途中で切断されたと思われる幹が出ている。
これが第三の霊獣・亀である。
さて、3つの支幹の中で、最も垂直に近く伸びているのは、北側の支幹である。
途中で別れた枝から煩瑣な葉が生えて、この一本の木を森のように見せている。
そして、見えない地下には、この地上の大木と同じくらい巨大な根が張っているのだろう。
さて、この宝生院のシンパクの注連縄には、五色の紐が結び付けられている。
その紐を掴んで念じると、この巨樹との間に縁を結ぶことが出来る。
私は紐を掴んで祈った。
私も、この地球に生まれてきた生物の端くれである。まだ生まれて50年かそこらである。
その私が、こんな畏敬すべき、年齢1600歳以上の巨大生物と相見えることが出来た。これだけで、私の人生に価値があったかのように感じた。
この宝生院のシンパクは、生命としての大先達である。
自分でここまで足を運んだだけなのだが、この木に会えたことを奇跡のように感じた。
人生は驚きに満ちている。