藤坂のカツラ 春日神社

 丹波篠山市小原にある大日堂の大日如来坐像がかつて祀られていた八ヶ尾山の北麓に、藤坂のカツラと呼ばれる巨木がある。

 地名で言えば、兵庫県丹波篠山市藤坂にある。

 藤坂の集落から西に行くと、藤坂のカツラへの登山道入り口がある。20分ほど歩くと大カツラに辿り着く。

藤坂のカツラへの登山道

 登山道は意外と急である。途中案内標識があり、右に入る細い道がある。

藤坂のカツラへの道

 細い道に入ってしばらく行くと、急な階段が備え付けられている。息を切らしながら階段を上ると、見上げるような高さに、巨大なカツラが現れた。

藤坂のカツラ

 カツラは、主に温帯林の山地に自生するカツラ科の落葉樹である。

 藤坂のカツラは、高さ約38メートル、目通り周囲約13メートル、13~15本の幹に分かれて天に向かって伸び行く巨木である。兵庫県指定天然記念物である。

 私は奥深い山中でこのカツラの木を見て、神様を見た気がした。うろ覚えだが、映画「もののけ姫」にも、このような姿をした神様が出てきたなと思った。

藤坂のカツラ

 私は今まで様々な巨木を見てきたが、大抵は幹が1本か、途中で分かれて2本になっているものだった。

 このように複数の幹に分かれた巨木は初めて見た。

藤坂のカツラ

カツラの葉

 日本列島に、このような緑豊かな山林があることを本当にありがたく思う。日本の豊かな水も、この山林が齎している。

 もし日本列島が、アラビア半島のような砂漠や荒れ地だらけになったら、それはもはや日本とは言えないだろう。

 日本の日本たる所以は、間違いなく日本の山林にある。

 後ろ髪を引かれる思いで大カツラを後に残して下山した。

 ところで、藤坂地区の春日神社では、毎年5月に大カツラの枝を用いた御田植神事が行われている。

藤坂の春日神

御田植神事

 御田植神事では、大カツラの小枝を稲に見立てて、田植えの一連の所作をする。カツラの生命力にあやかって、その年の豊作を願う神事である。

 地元の人々にとって、カツラはまさに生活の根底に横たわる大切なものである。

 この春日神社は、元中二年(1385年)に創建された。かつては梅田大明神と呼ばれていた。

 当時この辺りを領していた豪族細見氏が、祖先の紀忠通を祀るために建てた梅田七社の内の一つであるという。

拝殿

 この神社の本殿には、丹波の彫物師中井権次一統の彫刻が施されている。本殿は覆屋で覆われ、保護されている。

 間近で見ると、実に見事な彫刻である。

本殿と覆屋

中井権次一統の彫刻

 この藤坂の地は、京都府兵庫県の境界付近にある。山に囲まれた地である。

 このような山に挟まれた谷合の地にも、古くから人が住み、自然と共に生きてきた。大カツラはその象徴である。日本の自然と共に生きるのが、日本人のあるべき姿だと思う。

 私は先ほど、日本が日本たる所以は日本の山林にあると書いた。日本の山林を歩くと、私たちが拠って立つべきものが分かる気がする。

 今や日本の人口の大半は都市部に住んでいる。都市住民が山林に親しまずに「日本とは何か」を考えると、必ず日本の風土に根差さない抽象的な日本像が出来上がる。日本人は日本の山林を見直すべきである。

 今後の日本は、少子高齢化が進んで必然的に移民政策を取るようになり、外国由来の人々が人口の多くを占めるようになるだろう。

 またこのまま皇位継承の議論が停滞すれば、日本から皇室がなくなる時代がやってくるだろう。

 西暦2100年の日本には皇室がなく、また外国にルーツを持つ人が住民の半数を占めるようになっているかも知れない。

 そんな時代に、日本の日本たるべき所以を問えば、答えは日本の山林と、山林とのかかわりの中から生まれた文化の中にしかないだろう。

 これからの日本人は、日本の山林を見直すべきではないかと思う。