一宮神社から東に行くと、同じ福知山市堀に曹洞宗の寺院、円浄寺がある。
円浄寺は、元和八年(1622年)に曹洞宗の寺院、久昌寺の末寺として創建された。
この寺院には、福知山市指定文化財の「紙本金地著色四季花鳥図」が所蔵されている。
この図は、六曲一双の屏風に描かれたもので、木挽町狩野派九代の狩野晴川(1796~1846年)の作である。
全面を金地とし、雲と遠景を背景として、春夏秋冬の景物を、色彩鮮やかに巧みに描いているという。
福知山市内に存在する江戸時代の絵画の最高傑作であるそうだ。拝観は出来なかった。
ところで、一宮神社と円浄寺のある福知山市堀は、範囲が広い。
南端は、兵庫県丹波市市島町と境を接している。堀の南端に近い荒木地区に近づくと、荒木山、別名神撫(かんなび)山と呼ばれる秀麗な三角錐状の山が見えてくる。
この山の脇を越えると、旧氷上郡に至る。かつての山陰道の丹後支路である。
荒木の集落から荒木山に延びる道が、旧山陰道丹後支路である。
この道を南に進むと、舗装路がなくなるところに石段が見えてくる。
荒木神社に至る石段である。
荒木神社は、荒木山の中腹の標高約180メートルに存在する神社である。
延喜五年(905年)に編纂が開始された「延喜式」に記述がある神社で、「延喜式」の式内社である。
荒木神社の創建は未詳だが、延喜年間に存在していたのは間違いない。
石段に向かって左側に、更に砂利道が続いている。この道を行くと、旧氷上郡に抜けるのだろうか。
地図を見ると、確かに篠山方面から丹後に行くには、荒木山の脇を通るこのルートが最短ルートである。
石段を登って暫く行くと鳥居がある。
鳥居を潜って進むと、鬱蒼とした山林の中の参道に入る。
荒木神社は古くは荒木の権現さんと呼ばれ、十二所権現を祀っていたとされている。
十二所権現は、熊野三社に祀られた三所権現、五所王子、四所明神のことを指す。
中世には、荒木山に約30の坊を持つ真言宗の寺院があったそうだ。十二所権現も習合されていたことだろう。
永禄元年(1558年)、荒木山を拠点とした荒木氏と丹波黒井城に拠る赤井悪右衛門直正が争い、荒木山にあった寺院と荒木神社は全焼した。
寛文九年(1669年)、新たに福知山藩主となった朽木稙昌の下で寺社奉行に就いた中目盛治が、古記を調べて荒木神社を再興したという。
鳥居から約150メートルほど参道を登ると、境内に至る。
今の社殿は昭和7年に再建されたものである。
また社宝にヒョンの玉という謎の玉があるらしい。古えに祭祀に使われた笛ではないかと言われている。
荒木山のような三角錐の山は、我が国では、古来神が宿る神奈備(かんなび)とされ、崇拝されてきた。
そのような山の麓や山中には、十中八九、神社がある。
神奈備の信仰と祭祀が、古代の日本人の精神生活の柱であったと思われる。