長安寺の参拝を終え、北上する。
京都府福知山市牧にある牧正一(まきしょういち)古墳を訪れた。
牧正一古墳は、吉備神社の境内にある古墳である。
吉備神社と言っても、小さな祠があるだけである。祭神は吉備津彦命である。
古代に吉備の平定をしたとされる伝説上の人物、吉備津彦が、なぜここに祀られているのだろう。
吉備津彦がかつてこの地を訪れたことがあったのだろうか。
この吉備神社の脇に横たわるように存在する牧正一古墳は、7世紀に築造された全長約38メートルの前方後円墳である。
牧正一古墳の北側には東西道路が通っていて、古墳の北側は削り取られ、石垣で覆われている。
また、後円部の南西側には、吉備神社が建っているので、その部分が削り取られている。
牧正一古墳は、人名のような名前を持った古墳である。吉備神社の神階が正一位であることから、地名の牧と正一位が合わさってこのような名前になった。
地元では、「しょういっつぁん」という、まさに人の綽名のような愛称で呼ばれている。
昭和10年に、古墳内の石室から、須恵器や土師器、金銅製馬具などの埋葬品が偶然掘り当てられた。
平成6~8年の間に、福知山市教育委員会により発掘調査がなされた。
その結果、後円部、前方部、くびれ部にそれぞれ横穴式石室がある珍しい形の古墳であることが分かった。
特に第一石室は、京都府下でも最大級の大きさを誇り、牧正一古墳がこの地方の有力者の古墳であったことが分かった。
平成の発掘前は、古墳は樹木に覆われていただろうが、今は石室の石が露出し、芝生に覆われた姿をしている。
また、前方部の斜面には、葺石と思われる石が多数散らばっていた。
古墳の表面は、築造時には葺石に覆われていた。年月の経過と共に葺石は表面から崩れ落ちる。
この古墳の葺石は、まだ残っている。
7世紀後半の白鳳期から、日本各地に寺院が建立され始めた。
7世紀に築造されたこのような古墳は、仏教が日本に広まる以前の、日本の葬祭の形を現代に伝えてくれる。
飛鳥時代の地方の息吹を今に伝えているとも言える。