普門山大樹寺

 市場城跡から下りて、車に乗り込み東に走る。鳥取県八頭郡八頭町福地にある曹洞宗の寺院、普門山大樹寺に赴いた。

普門山大樹寺

 大樹寺は、市場城を拠点にした毛利氏の家臣・安藤義光の菩提寺であるという。

 大樹寺は、市場集落の山上にあったが、天正年間(1573~1592年)に兵火にかかり焼失した。

 明暦年中(1655~1658年)に現在地に再興された。この時に宗派を曹洞宗に改めたらしい。  

 宝暦年中(1751~1764年)にまたも火災に遭うが、八世真龍が復興して今日に至るという。

有楽椿

 寺院の石段の脇には、信長の弟で茶人として名高かった織田有楽斎(うらくさい)が好んだ茶花である有楽椿がある。

 この有楽椿は、樹齢約400年以上、樹高約8.7メートル、幹回り約1.85メートルで、有楽椿としては日本一の巨木であるらしい。11月末から4月上旬にかけて、ピンク色の優雅な花が咲くという。八頭町指定天然記念物である。

 この有楽椿の下に、古びた二基の宝篋印塔がある。

二基の宝篋印塔

 この二基の宝篋印塔の内、向かって右側のものは、石英安山岩製で、九輪上の宝珠を欠くが、ほぼ完存した塔である。

宝篋印塔(右側)

 鎌倉時代末期の制作と言われ、鳥取県下では最古の塔である。

 隅飾りがやや外に傾いている。南北朝期のものは隅飾りが垂直に立っており、江戸時代のものは隅飾りが外側に大きく傾いている。これが鎌倉期のものの特徴であろうか。

 塔身の四面には、金剛界の四方仏の梵字が、月輪(がちりん)の中に鋭く薬研(やげん)彫りで刻まれている。

薬研彫りされた梵字

 こちらの宝篋印塔は、八頭町指定文化財である。

 向かって左側の宝篋印塔は、かなり風化が進んでおり、見た目には右の宝篋印塔よりも古く見える。

宝篋印塔(左側)

 しかし実際の制作年代は分からない。

 有楽椿も宝篋印塔も、寺院がここに再建された明暦年間よりは古いものである。

 宝篋印塔は、元々市場集落にあったものが、再建時にここに移されたのではないか。

 本堂には、本尊の釈迦如来坐像を祀っている。

本堂

向拝の彫刻

蟇股の龍の彫刻

 本堂に入る。奥には、釈迦如来坐像と両脇侍仏が祀られている。

本堂内部

釈迦如来坐像と両脇侍仏

 両脇侍仏は、文殊菩薩普賢菩薩である。

 大樹寺は、中国四十九薬師霊場第四十八番札所であり、因幡薬師霊場第八番札所でもあるという。

 この釈迦如来坐像と両脇侍仏の向かって左側に薬師如来像があったようだが、見落としてしまった。

 本堂に入って左手に、十六羅漢像があった。

十六羅漢

 こちらはカラフルに彩色された像であった。

 この十六羅漢像の手前の梁の上に、18体の木彫りの羅漢像が祀られてた。十八羅漢像だろう。

十八羅漢像

 この十八羅漢像は、細密な彫りといい、木材の色合いといい、ユーモラスな表情といい、なかなかの逸品だった。

 像の下に個人名が書かれた札がかかっているが、どういういわれのものなのだろう。

 宝篋印塔は、当初は宝篋印陀羅尼経というお経を納めた経塔だったが、後に供養塔や墓碑塔としても拝まれるようになった。

 大樹寺には、鎌倉時代末期に誰かが建てた宝篋印塔が残っている。建てられた当時も今も祈りの対象になっている。

 人が祈る対象は、時代を超えて伝わっていく。これは日本だけに限らない。人類共通のものである。

 異なる宗教であっても、人が祈る姿を見ると、粛然とさせられる。

 祈るという行為は、人類普遍の強靭な行為である。