再度山大龍寺 後編

 大龍寺の背後の再度山を登っていくと、途中弘法大師を祀る奥の院があり、更にその上に弘法大師自作の亀石がある。

 本堂前の石に彫られた案内に従って、奥の院に向かうことにした。

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奥の院への案内

 本堂の東側には、不動明王を祀る不動堂がある。

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不動堂

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不動堂の内陣

 ここで護摩行が行われているのだろう。護摩行とは、火を焚くことで煩悩を焼き尽くす行である。古代ペルシアのゾロアスター教拝火教)の儀式が、インドに伝わり、仏教に取り入れられたものだ。

 護摩堂から奥の院への道を進むと、薬師堂がある。

 木鼻や蟇股の彫刻が見事であった。微細な彫刻である。

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薬師堂

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向拝の下の彫刻

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蟇股の獅子の彫刻

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厨子の仏像

 薬師堂の前を過ぎると、山道が始まる。山道の脇には、ミニ四国八十八ヶ所があって、各霊場の本尊と弘法大師の石像が祀られている。

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奥の院への道

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ミニ四国八十八ヶ所霊場の石仏

 奥の院までは、さほど苦労せずとも到達する。

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奥の院大師堂

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大師堂内陣

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弘法大師

 大師堂の中に祀られている弘法大師像は、黒くくすんでいる。半眼の強い眼差しでこちらを見つめておられる。

 覚えず「南無大師遍照金剛」という御名号を唱えた。

 遍照金剛は、長安空海が師の恵果和尚から与えられた灌頂名である。空海は自筆の著作などに、遍照金剛という名を記していることがある。

 遍照金剛の遍照とは、日光のように遍く照らすという意味だが、現実の日光のように日が届かない裏側に影が出来るような不完全な照らし方ではなく、裏表もなく宇宙に存在する全てを照らすという意味である。

 ダイヤモンドの事を金剛石と言うが、金剛とは、砕けることがない硬い智慧の意味である。

 遍照と金剛を合わせれば、決して砕けない智慧が宇宙全体を隈なく照らしている、という意味か。

 遍照金剛は、大日如来の別名でもある。大日如来は、仏像では人間に近い姿で象られているが、実は宇宙に遍満する智慧のことを指すのである。

 南無は「帰依する」という意味で、大師は朝廷が空海に与えた弘法大師の号を指す。

 「南無大師遍照金剛」は、弘法大師空海に帰依するという意味であると同時に、宇宙に遍満する大日如来智慧に帰依するという意味である。

 大師堂の先には、亀石への道が続いている。

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亀石への道

 亀石までの道沿いにも、ミニ四国八十八ヶ所の石仏が祀られていたが、岩をくり抜いて出来た龕の中に役小角弘法大師の石像があった。

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役小角弘法大師

 役小角弘法大師も、山野を跋渉して修行した行者であった。弘法大師が今でも民間信仰の中に深く根を下ろしているのは、貧しい身なりで山林を歩いて修行した行者だったからだと思われる。

 頭が良くて、机の上でどんなに立派な著作を書いたとしても、それだけでは民衆は尊敬しない。

 空海が民衆が歩くのと同じ道を歩き、民衆のために祈り続けたからこそ、今でも民衆は若き空海が歩いて修行したルートとされる四国八十八ヶ所霊場を歩こうとするのだ。

 更に歩くと、貴姫大御神が祀られる石が道の真ん中に鎮座していた。

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貴姫大御神

 この神様が一体どんな神様なのか、よく分からない。当然「古事記」「日本書紀」に出て来ない神様である。

 ここから道が急になる。鉄パイプで組まれた梯子などに頼らないと登れない場所もある。

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亀石への登り道

 急な道を登ると、天狗石と亀石のある巨石群が現れる。

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天狗石と亀石

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天狗石

 亀石は、弘法大師がここを訪れた際に、石を彫って自作したものだという。

 岩に彫られた梵字の上に、亀石がある。

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亀石

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 岩に登って亀石を見ると、確かに亀のような形をしている。

 これを弘法大師が自作したというのは、伝説上の話だろうが、誰が一体何のために、この亀石をここに彫ったかは分からない。

 亀石を過ぎて、急な道を更に登ると、再度山の山頂に到達した。

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再度山山頂

 標高470メートルの山頂にやってきた。

 ここから神戸港を見下ろすと、須磨から六甲アイランドまで一望の下である。

 目の前には朝日に照らされたポートアイランドや沖合の神戸空港が見える。

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朝日に照らされたポートアイランド神戸空港

 遥か昔、弘法大師もここを訪れ、ここから海を見下ろしたのだろうか。

 仏教の唯識派の教えでは、世界は全て識で成り立っているという。眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の五つの識と、第六の識である意識、第七の末那識(まなしき)、第八の阿頼耶識(あらやしき)の八つの識で宇宙は成り立っているそうだ。

 末那識は人間の深層にある意識で、阿頼耶識は世界を成り立たせている根源的な識であるらしい。唯識派の修行の過程では、最終的には、この阿頼耶識も実体がないものと観想される。

 三島由紀夫の遺作「豊饒の海」も、仏教の唯識派の教えをテーマにした小説だった。彼は死を前にして、仏説の深みにはまっていった。

 私は、識とは、現代で言う情報に近い概念ではないかと理解している。

 コンピュータープログラムによって作られた世界に実体がないように、識から形成された我々の世界も、実は実体がないのかも知れない。

 人間が七つの識で認識したことは、阿頼耶識に記録され、縁起に従って何らかの形で再び世界に立ち現れるという。

 弘法大師がここから海を眺めて何かを感じたのなら、その認識は阿頼耶識の中に蓄えられ、またどこかで発現されるのを待っているのかも知れない。

 私も唯識派の教説の本を読んだことがあるが、この世界を成り立たせている識が、一体何のためにあるのかは、よく分からなかった。

 我々が認識するこの世界の存在理由は結局よくわからないのだが、山野を跋渉するうちに、金剛のように硬く崩れない智慧が発現したのがこの世界だと、いずれ分かるようになるのだろうか。