野﨑家別邸迨暇堂

 岡山県倉敷市児島味野1丁目に、江戸時代後期に塩田経営で財をなした野﨑家の旧宅がある。旧野﨑家住宅は、天保年間から嘉永年間に建てられ、現在は国指定重要文化財となっている。

 明治時代になって、野﨑家当主野﨑武吉郎が、住宅と別に迎賓館として建てたのが、野﨑家別邸迨暇堂(たいかどう)である。

 旧野﨑家住宅が一般公開されているのと異なり、迨暇堂は特別な催しがあるときでなければ公開されない。

 2月に迨暇堂で茶会の催しがあったので、妻と共に参じることにした。

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野﨑家別邸迨暇堂の入り口

 当日は、「倉敷雛めぐり」という、雛人形を展示する催しも行われていた。

 迨暇堂は、国登録有形文化財となっている建物である。普段上がることが出来ない建物を拝観できるのは、貴重な機会である。

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迨暇堂主屋

 迨暇堂は、高い塀に囲まれており、塀の外から外観を撮影することが出来ない。広い日本庭園を有するが、庭園への立ち入りも出来ないので、庭園から主屋の全体像を撮影することも出来なかった。

 近くからだと、大きな主屋の全体を写真に収めることが出来ない。仕方のないことである。

 広い玄関から主屋に上がる。主屋は明治29年(1896年)の建築である。

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迨暇堂玄関

 玄関の衝立に描かれた舞う翁の絵が、精細で見事であった。

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衝立の絵

 衝立の向こうには百畳敷の座敷がある。そこに様々な雛人形が展示されている。

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主屋座敷

 ここで初めて見たのが、城の天守のような建物に入ったお雛様である。倉敷以外の地域にも、こういうお雛様はあるのだろうか。

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天守の中のお雛様

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迨暇堂の書

 主屋に入って、お手洗いに行ったが、その途中に昔のトイレと手洗いの設備があった。小便器の下に竹が張られた風雅なトイレであった。

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昔のトイレ

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手洗い設備

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 手洗い設備は、手前の台に乗ると蛇口から水が出てくる仕掛けであった。台の上に乗ると、本当に水が出てきた。当時の住宅としては、最新設備であろう。
 主屋の周囲には、広大な庭園が広がる。

 庭園の入り口に建つ中門は、竹塀を左右に控えた茅葺のもので、寂びた良さがあった。

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中門

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庭園

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 この庭園は、2250坪あり、かつては芝生の上で丹頂や真鶴を飼育し、遊ばせていたそうだが、戦時中に飼育をやめてしまったという。

 庭園の一角に、野﨑武吉郎の胸像がある。

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野﨑武吉郎の胸像

 武吉郎の胸像は、昭和3年に野﨑家貸費生が建立し、台座の文字は犬養木堂犬養毅)が揮毫した。戦時中に胸像は資源として供出された。今の胸像は、昭和62年に復元されたものである。

 迨暇堂主屋は瓦葺1階建てで、周囲を縁側が巡り、そこから閑雅な庭園を眺めることが出来る。

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主屋

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主屋縁側

 釘隠しには「迨暇堂」の銘がある。

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釘隠し

 さて、茶会が催されたのは、茶室有藇亭(ゆうよてい)である。葦葺(よしぶき)の田舎家風の造りである。

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有藇亭

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有藇亭前の手水鉢

 私は、お茶を習っているわけではないので、多くを語ることは出来ないが、自然の素材をそのまま生かした建物と静かな庭園の中で茶を喫すると、何とも落ち着いた気持ちになる。

 私たちが訪れた日は、天皇誕生日であった。茶会に使われた棗には、蓋の裏に帝王を表す鳳凰が描かれていた。表ではなく裏に描かれているのが奥ゆかしい。茶道具も季節や日柄に合ったものが選ばれている。

 茶室に掛けられた掛け軸は、徳川家第16代当主徳川家達(いえさと)が書いた「清恬」という書であった。

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徳川家達の清恬の書

 清恬とは、心清らかにして静かなことを指す言葉だという。そのような境地が私の理想だが、日暮れて道遠しといったところだ。

 迨暇堂の東側にある東塀や大門も、国登録有形文化財となっている。

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東塀

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大門

 東塀越しに、庭園にある茶室「清恬」の屋根が見える。

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茶室「清恬」

 迨暇堂は、児島の町を縦に流れる小田川にかかる大正橋の袂にある。現在の大正橋は、昭和41年に架けられた三代目であるそうだ。レトロな造形の橋である。

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大正橋

 小田川には、昭和橋、平成橋という橋も架かっているらしい。

 旧野﨑家住宅の周囲には、中にカフェや児島ジーンズの小売店が入ったレトロな建物が並んでいて、なかなか面白い街並みであった。

 野﨑家別邸迨暇堂は茶人趣味の横溢した、侘びの空間であった。野﨑家は、塩田開発と塩の販売で莫大な富を築いた家である。

 ヨーロッパの財産家の邸宅が、金銀宝玉で飾られた、誰が見ても豪華と感じるものであるのに比べて、日本の富家の和風邸宅は、屋根に葦を使ったり、塀に竹を使ったり、柱に桜の木を使ったりするなど、自然の素材を生かして築かれていて、風流を解さないとその価値が分からない。風流は和歌、俳句だけでなく、茶道や華道にも通じている。

 自然を愛でる心がないと、日本建築や庭園の良さは分からないようになっている。かつての日本の財産家が、有り余る財産を持っていても、風流の世界を目指したのは、日本人の心性を表しているようで面白い。