先月下旬に淡路に渡った。三度目の淡路の史跡巡りである。
神戸淡路鳴門自動車道北淡ICで下りて、淡路島の西側を縦断する県道31号線を南に走る。淡路サンセットラインとも呼ばれる道だ。
今、この淡路サンセットライン沿いは、ちょっとしたリゾート地になっている。沿線には洒落たレストランやカフェが目立つ。
途中通り過ぎた「幸せのパンケーキ」という店は、朝9時というのに、やたらと行列が出来ていた。
しかし私の目当ては、そういうものではなく、地味な史跡である。
先ずは淡路市尾崎にある枯木神社を訪れた。
枯木神社は、淡路サンセットライン沿いにある。神社の背後は瀬戸内海である。
この枯木神社の由来はこうだ。
推古天皇三年(595年)4月、この地に大きな枯木が漂着した。この木は、実は南天竺から漂着した香木「沈水」であった。
それと知らぬ村人は、この木を薪と一緒に燃やした。すると遠くまで芳しい薫りが漂った。村人はこれを異として、漂着した香木を天皇に献上した。
これが、「日本書紀」巻二十二に載る、日本最初の香木の話だ。
村人は沈水が漂着した場所に枯木神社を建ててお祀りした。
この神社は、拝殿と本殿が一体となっている。神社のすぐ裏には、瀬戸内海が迫る。彼方には小豆島が見える。
かつて香木が流れ着いた海岸だ。海からは、心地よい風が吹いてくる。
ここから足を伸ばし、同じ淡路市尾崎にある真言宗寺院、平松山長泉寺を訪れた。
長泉寺には、江戸時代初期に築かれた兵庫県指定文化財の長泉寺庭園がある。
長泉寺の歴史はよく分からないが、寛文年間(1661~1673年)に現在地に移って来たそうだ。庭園もその時に築かれたものだろう。
県指定文化財の庭園には、非公開のものが多いが、ここは自由に見学できる。心ゆくまで、奇勝とも言うべき石の配置を楽しんだ。
いずれ当ブログで書くことになるかも知れないが、私の祖先は阿波の国人で、戦国時代には阿波に城を持っていた。戦国時代末期に戦いに敗れて帰農し、江戸時代に入って淡路南部に渡り、江戸時代を通して集落の庄屋を務めたらしい。
明治に入って私の曽祖父が分家して淡路の村から本土に渡り、西宮で八百屋を始めた。曽祖父の姪だった祖母が、子のない曽祖父の家に淡路から手伝いに行き、家を継いだ。
淡路は私の父祖の地であり、私の家の宗派である高野山真言宗の盛んな地域である。
死んだ父から聞いたが、祖母は西宮に行く前の20歳くらいのころ、四国八十八か所を巡ったという。昭和初期に、20歳くらいの女性が1人でお遍路が出来たのだろうか。不思議なことだ。
空海と真言密教に興味を持つようになってから、父から祖母の話を聞いて、私は自分のルーツというものを考えるようになった。人は自分の血に逆らえないようになっているものだ。
淡路の史跡巡りをするうちに、自分の出自となった文化について知ることになるような気がする。