兵庫県三木市吉川町稲田の若宮神社は、毎年10月に行われる「ヤホー神事」という祭儀で知られている。
若宮神社の創建は詳らかではないが、「美嚢(みのう)郡誌」によれば、村の住民の久右衛門なる男が、妻の安産に喜んで小社を建て、石清水八幡宮から分霊を勧請したのが始まりと言われている。
ヤホー神事は、獅子頭、棒振り、篠笹持ち、金棒引き、行灯持ち、小鼓打ち、絞太鼓打ちが御神歌を歌いながら境内を行列を作って練り歩き、やがて本殿前にて、棒振り、馬に乗った子供、「やま」と呼ばれる蚊帳に入った子供が問答をして神事は終了する。
神と人の交流を知る上で、興味深い神事である。ヤホー神事は、兵庫県指定重要無形民俗文化財となっている。
ヤホー神事は、地域の四つの宮座によって厳粛に行われている。中世の雰囲気を残したこの神事の起源は、室町時代にまで遡ると言われている。
また、本殿の彫刻がなかなか見事であった。
若宮神社の現在の社殿は、天保三年(1832年)に建てられたものである。
三木市立みき歴史資料館には、若宮神社の先代の神輿が展示されている。
この神輿は、享和三年(1803年)に製作されたものと伝わっている。華麗に装飾された神輿である。かつて若宮神社の秋祭りで担がれていたものである。
神社は、地域の精神的支柱となるものである。村の鎮守の神様は、大切にしなければならない。
若宮神社から東に行った、三木市吉川町毘沙門にあるのが、歓喜院(真言宗)である。
かつてあった常楽寺という寺院を引き継いだもので、常楽寺の鎮守社として建てられた聖天堂を有する寺院である。
聖天堂には、元々毘沙門城の城主藤田氏の氏神の八幡神を祀っていたが、いつしか荒廃し、安政年間(1854~1860年)に聖天を祀るようになった。
聖天は歓喜天の別名であり、抱擁しあう象頭人身の双身像の姿で表される。元々はヒンズー教の神であるが、仏教に取り入れられ、仏法の守護神として扱われるようになった。
聖天堂は、国指定重要文化財であるが、建物を保護するため、覆屋で覆われている。覆屋の戸の隙間から聖天堂を撮影したが、当然全体像を写すことが出来なかった。
聖天堂は、檜皮葺の三間社流造で、縁束を支える腰組が珍しいそうだ。
聖天堂の建築は、墨書により、応永十八年(1411年)と判明している。三木市の寺社が、大抵三木合戦で焼けてしまった中で、聖天堂の古さは格別である。
史跡巡りを続けるうちに、我が国に棲息する神々のことを考えるようになった。特に祭礼を見てみると、地域によって驚くほど多様性があることに気づいた。
画一的な信仰よりも、多様性のある信仰の方が面白い。日本の文化の豊かさは、そこから来ているのではないかと思う。