勝山の町から北上し、岡山県真庭市神庭(かんば)にある神庭の滝を訪れた。
神庭の滝は、落差約110メートル、幅約20メートルを誇る名瀑であり、国指定名勝、日本の滝100選に選ばれている。
神庭の滝の水源は、標高約1030メートルの星山で、滝の周辺は切り立った断崖に囲まれている。
神庭とは、神の庭という意味だろうが、この塵外の秘境のような風光が、人に神々が遊ぶ庭と思わせたのだろう。
神庭の滝の駐車場に車をとめて、滝まで続く遊歩道を歩いていくと、右手に玉垂(たまだれ)の滝が見えてくる。
玉垂の滝は、草ぶきの屋根のような形をした円錐形の岩から滴り落ちる水滴が、玉のようであることからついた名である。
確かに落ちる水滴が、玉のようだ。
涼しい風景である。
玉垂の滝を過ぎてしばらく行くと、左手に鬼の穴と呼ばれる洞窟に登っていく道がある。
階段を登っていくと、石灰岩の岩壁に辿り着く。途中、鎖を掴んで登って行かなければならない箇所がある。
修験者の気分になる。
神庭の滝周辺の岩山は、石灰岩で出来ているのが分かった。
さて、鬼の穴の入口に辿り着いた。
鬼の穴は、石灰岩が水に浸食されたことにより出来た、奥行き約75メートル、入口の高さ約8メートル、幅約1.5メートルの洞窟である。
人外魔境に紛れ込んだような気分になる。洞窟の中は涼しい。
私は昔、モーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」シリーズを愛読したものだが、鬼の穴を歩きながら、ルパンがフランスのエトワル海岸に、財宝の隠し場所として築いた奇岩城を想起した。
ひょっとしたら、この洞窟の先にお宝があるのではないか。そんな想像をした。
だが洞窟の最奥は、ただの行き止まりだった。
それにしても、悠久の時を経て、水が岩を侵食してこんなに大きな洞窟が出来るのである。
同じように、我々が普段している小さな仕事も、積み重ねれば馬鹿にならないものを生み出すものだと思った。
鬼の穴の外に出て神庭の滝に向かって歩く。
途中、石灰岩の断崖がある。これも長大な時の経過が作り出したものだろう。
煎じ詰めれば、時の経過というものも、生物の認識が生み出した幻想なのかも知れない。
最近、時の経過を楽しむというのが、人間の最大の娯楽なのではないかと思い始めている。
歩くと遠くに壮麗な神庭の滝が見えてくる。
白い滝を見ると、神の湯浴みの姿を見てしまったような、神の隠された秘密に触れたような感覚になる。
なるほど、ここが神庭と言われる理由が分かる。
それにしても水量が豊富な滝である。
滝に近づくと、その神々しい姿に圧倒される。
思えば滝も時の経過の象徴のようなものである。
滝の流れは一瞬たりとも止まることはない。滝はそこに違わずにあるように見えるが、1秒前の滝に流れていた水と今流れている水は異なっている。
私たちの世界も、変わらないように見えていても、1秒たりとも同じものではない。
世界は暴流の如く転変している。そんな有為転変する世界の中で、1点に固定されたかに見える自分の意識こそが、世界を誤解している元ではないかと思えてくる。
静かな滝の音を聞きながら、時の経過をひたすらに感じた。