加茂総社宮から北上し、岡山県加賀郡吉備中央町円城にある天台宗の寺院、本宮山円城寺を訪れた。
円城寺の開基は、奈良時代の行基菩薩によるものと伝わっている。
開創時は、本宮山の頂上に寺院があり、正法寺と呼ばれていた。その後、報恩大師によって備前四十八ヶ寺の一つに数えられた。
弘安五年(1282年)に伽藍が焼亡し、翌年現在地に再建されたという。
再建に際して寺号を円城寺に改めた。その後寺は隆盛期を迎え、江戸時代中期には、塔頭9坊、末寺5ヶ寺を数えたという。今では塔頭地蔵院と医王院を残すのみである。
参道にわずかながら門前町の面影が残っている。
本尊の千手観音菩薩像を祀る本堂は、明和二年(1765年)に建てられたが、天保四年(1833年)に火災で焼失した。
弘化三年(1846年)に、備前国邑久郡宿毛村の彫刻家田淵栄造こと源勝永による見事な彫刻が施された本堂が再建された。
この本堂の彫刻群はまことに見事で、全部を紹介したいが、限りがあるので一部を紹介することにする。
丹波の中井権次一統の彫刻に匹敵する、エッジの効いた、透かし彫りである。
向拝蟇股の彫刻は龍と松の彫刻だが、その裏側にも松の彫刻がしっかりと彫られている。その右下に「邑久郡宿毛村田淵栄造源勝永作」と作者の出身地と名が刻まれている。
本堂外陣の格天井には、花の絵が色とりどりに描かれている。
天井画は、極めて色鮮やかである。近年修復されたのだろう。
本堂の周囲の蟇股の彫刻が、立体的で非常に凝っている。どれも面白い。
一つ一つの彫刻が生命を持っているかのように生き生きとしている。この本堂は、いずれ重要文化財になるだろう。
円城寺は、古くからこの地域の精神的支柱として大事にされてきた。立派な彫刻からも、それが窺える。
私も備前の奥地で、このような見事な彫刻が施された寺院の存在を知ったことを喜ばしく思った。