神戸市東灘区住吉東町1丁目にある谷崎潤一郎の旧居・倚松庵(いしょうあん)を訪れた。
倚松庵は、昭和4年に建てられた和風建築で、谷崎が昭和11年11月から昭和18年11月までの7年間にわたり住んだ家である。
元々は現在地から約150メートル南に建っていたが、六甲ライナー建設に伴い、平成2年に現在地に移された。
谷崎は、東京日本橋の生まれで、37歳まで関東で生活していた。
大正12年9月1日に、谷崎は滞在先の箱根で関東大震災に遭った。地震嫌いだった谷崎は、一家を挙げて関西に移住した。
引っ越し魔と言われた谷崎は、関西に来てから21回転居しているが、この倚松庵は、関西に来てから住んだ17番目の居宅である。
倚松庵は、谷崎が関西で住んだ住居の中で、最も長く住んだ場所である。
倚松庵は、「松に倚りかかる住まい」という意味である。倚松庵の近くを流れる住吉川の両岸に松並木が続いていることもあるが、倚松庵の松は、谷崎の三度目の妻で、結婚後終生愛した松子のことを指しているものと思われる。
倚松庵は、和風建築であるが、内部には洋風の居間や食堂がある。昭和初期の和洋折衷住宅の典型例と思われる。
また倚松庵は、谷崎潤一郎の最高傑作「細雪」に登場する蒔岡家のモデルになった家でもある。
私は文学者の住んだ家を訪れるのが好きだが、ここは作品の舞台でもあるのだ。
私は15歳になって三島由紀夫を読み始めたが、三島が書いた評論を読むうちに、三島が先輩の谷崎潤一郎の文学を深く敬重していたことを知った。
私は、35歳だった平成21年9月に、谷崎の作品を無性に読みたくなり、昭和56年以降刊行された中央公論社版「愛蔵版 谷崎潤一郎全集」全30巻を古書店で購入した。
それから毎日通勤電車に揺られながら谷崎全集を読んだ。平成24年3月に転勤となって、車通勤になるまで読み続けた。
全集の第27巻から第30巻までの4巻は、谷崎が「源氏物語」を現代語訳したいわゆる「谷崎源氏」だったが、その途中の第28巻までは読み終えた。
通勤電車の時間を毎日利用すれば、相当な量の読書をすることができるのだ。
「愛蔵版 谷崎潤一郎全集」は、第1巻から編年体で谷崎の作品を収録している。
続けて読むうちに、谷崎が凄まじいスランプに陥った時期があるのが分かった。
谷崎には、マゾヒズム趣味がある。谷崎の初期、中期の作品には、女性に踏みつけられ、いじめられ、そんな女性に拝跪することに喜びを覚える人物が登場する。
処女作「刺青」から「お艶殺し」のころまでの初期作品は面白かったが、中期になると金太郎飴のように、「悪魔的な女性にいじめられて見もだえする男性」を描いた作品ばかりが出てくるようになった。
私はどうも、意気地のない男性が出てくる小説は好きではない。
中には「白昼鬼語(はくちゅうきご)」のような犯罪小説や、「鶴唳(かくれい)」のような支那風綺談趣味の面白い小説もあったが、スランプ期は、出てくる作品が悉く同じようなマゾヒズム趣味の小説ばかりで、読んでいてうんざりした。
谷崎ほどの大作家にも、出すもの悉く駄作というスランプ期があったことに驚いた。
ところが、関西に移住した後の大正13年に発表した「痴人の愛」以降は、「卍」「蓼食ふ虫」「吉野葛」「盲目物語」「蘆刈」「春琴抄」「細雪」「少将滋幹の母」「鍵」と、今度は出す作品が悉く名作傑作という好調期に入った。
私は、三島由紀夫の「金閣寺」を読んだとき、一文字も無駄のない、これ程均整の取れた作品はないと思ったが、谷崎の「春琴抄」を読んだ後に「金閣寺」を再び読むと、無駄だらけのように思えた。
その後、鷗外の歴史小説を読んだ後に、「春琴抄」を読むと、「春琴抄」にも無駄があるように感じたものだが。
谷崎のスランプ期から好調期への変貌の理由がどこから来たのかは分からない。一説には、スランプを脱したのは、松子という女性との出会いのお陰と言われている。
私なりにこの谷崎の変貌の理由を考えてみた。
関西移住前に横浜に住んでいたころの谷崎は、西欧趣味に偏って、西欧の推理小説や怪奇小説を模した作品を書いていた。
奔放な性や、殺人などの犯罪を作品に取り入れた谷崎は、「悪魔派」とも呼ばれていた。
この時期の谷崎は、作品の中で、ちょっと悪ぶったつもりで書いているのがわかる。
だが、そんな悪の世界を、「どうだ悪いだろう」と書く人は、本当の悪人ではない。谷崎は、作品や随筆を読む限り、常識的で憎めない「いい人」である。
本当の悪人は、世の人が悪と思うことを、本心では何も悪いと思っていない人である。その点、川端康成や三島由紀夫の方が、世間の道徳心に縛られない、常識の底が抜けた、真に毒を含んだ作品を書いている。
谷崎のスランプの原因は、本当は悪でも何でもない人が、悪に憧れて悪ぶった作品を書いたことにあると思う。読んでもちっとも面白くないのだ。
ところが「痴人の愛」以降の谷崎は、本来の気質に合った、日本の古典文学に範を取った作品を書き始めた。
露骨なマゾヒズムは鳴りを潜め、ほのかな女性への憧れが静かに作品全体を領するようになった。
その頂点が、「現代の源氏物語」と呼んでもいい「細雪」である。
次回からは「細雪」と倚松庵について書いてみたい。