養源寺から東にしばらく歩いた場所にあるのが、浄土真宗の寺院、護法山光行寺である。養源寺と同じく、豊岡市元町にある。
ここは、承久の乱に敗れて但馬に流された雅成親王の子、浄円が入寺した寺である。
山門を潜って境内に入ると、正面に形のいい銀杏の木があった。
ちょうど葉が緑から黄色に移るところで、実に美しい。
銀杏は、約2億年前から地球上にあった植物界の生きた化石である。生命力が強く、原始的な樹木の特徴を残しているという。
いい季節にこの銀杏と出会うことが出来た。
光行寺には、西側と南側に山門がある。
南側の山門の扉は、まるで城郭の扉のようである。江戸時代からあるものだろう。
本堂には、胎内に鎌倉時代中期の願文を持つ阿弥陀如来像が祀られている。
本堂向拝の彫刻群が見事である。浄土真宗の寺院には、本堂が広壮なものが多い。
庶民的な宗派であるため、本堂に多くの門徒が集まることがあるからだろう。
親鸞は、仏教を一挙に大衆化した人物である。その著作「教行信証」は、現代でもよく読まれている。
失意の中で亡くなった雅成親王の子・浄円は、光行寺の住職になり、父の菩提を弔ったことだろう。
先ほどの銀杏の葉が風と共にさらさらと落ちる。浄円が読経をしたころと同じ時間が、現在の境内にも静かに流れているように感じた。