鳥取市 福田家住宅

 若桜往来を歩いて紙子谷(かごだに)集落に入ると、田の稲刈りが行われていた。

 秋は収穫の季節である。

 集落の中に、茅葺屋根、入母屋造りの民家がある。江戸時代に地元の大庄屋を務めた福田家の屋敷である。

福田家住宅

 福田家は、江戸時代以前は在地土豪、つまり武士であった。戦乱の世が終わって帰農し、江戸時代になってから、20代に渡って集落の大庄屋を務めたそうだ。

 江戸時代に庄屋を務めた家は、戦国時代末期に帰農した地元の有力武士の家が多い。かく言う私の祖先もそうだったらしい。

福田家住宅の垣根

石垣と土塀

土塀の窓

 福田家住宅は、部材の大きさや仕上げの状態から、江戸初期以前に建てられた民家と見られている。

 側柱(建物の外周を支える柱)が不規則に並び、構造上無理のない位置に配置され、後世に省かれるようになる入側柱(側柱より一列内側にある柱)が残るなど、古い造りが特徴であるらしい。

 鳥取県下に残る民家の中では、最も古い民家で、国指定重要文化財になっている。

福田家住宅

 福田家住宅には、今も現当主の福田氏が住んでおられる。現役の住宅である。事前に予約すれば見学が可能だったらしいが、予約はしていなかったので、外観を眺めたのみで終わった。

 とは言え、福田氏も稲刈りでお忙しそうだったので、この日はいずれにしろ見学は出来なかっただろう。

福田家住宅正面

福田家住宅入口

土間の入口

おおえの間の縁側と庭園の入口

 外観だけで見ると、兵庫県の箱木家住宅や古井家住宅より広壮に見える。江戸時代より前にあった民家としては、可成り豪壮な家だろう。

 座敷の中央には囲炉裏が残っているそうだ。

座敷の囲炉裏

 ここ最近、世界的に化石燃料の値段が上がっている。英国などでは光熱費が前年比3倍になっているという。

 ウクライナでの戦争の影響もあるが、これは一過性の現象ではない。化石燃料の生産余力が年々無くなってきているのは長期的な傾向である。化石燃料は、永遠に採掘できるものではない。今後益々希少になっていく。これは避けることが出来ない。

 化石燃料が安く豊富に採掘できた時代に生活した我々の親世代より、我々の子孫の生活は苦しくなるだろう。これは、誰が政権を担おうが避けることが出来ない。

 いずれ日本も英国のように光熱費の高騰に苦しむようになるかも知れない。

 現代の住宅は、電気や化石燃料を利用した冷暖房機器を使うことを前提として建てられている。

 いずれ光熱費が異様に高騰し冷暖房機器が使用出来なくなれば、日本人は、日本の風土に適合したこのような民家に再び住むようになるかも知れない。

 夏は家屋の障子や襖を開け放して座敷に風を通し、土壁が湿気を吸収することで涼を得る。冬は囲炉裏に薪や柴をくべて暖を取る。

 昔の日本人は、身の回りにある資源を活用して、案外合理的に生活していたのである。