意上奴神社

 福田家住宅の見学を終えて、若桜往来を南に行き、鳥取市香取にある意上奴(いがみぬ)神社に向かう。

 途中、若桜往来沿いに意上奴神社の朱色の鳥居がある。

意上奴神社鳥居

 鳥居の前には、いつの時代のものか分からぬが、石仏が祀られている。鳥居と石仏。神仏習合の風景だ。

鳥居の前の石仏群

 鳥居の脇の道を真っ直ぐ進むと、山中に入っていくことになる。左手に溜池が見えてくる。

溜池と空山

 溜池の向こうに見える巨大な風車がある山は、空山である。空山には、梨畑が広がる。

 この溜池の堤防がそのまま意上奴神社の参道に繋がっている。

堤防上の道

 意上奴神社は、津ノ井郷と呼ばれるこの辺り一帯の惣社である。

 祭神は須佐之男命で、仁寿二年(853年)に神階正六位を与えられ、延喜五年(906年)と万寿三年(1026年)に朝廷から派遣された奉幣使が参拝するなど、古くから朝廷に尊崇されていた。

 「延喜式式内社であり、国に異変があると、国司が参拝したという。

 江戸時代には、藩主の崇敬が厚かったそうだ。

参道

参道の杉

 意上奴神社の社叢は、標高約110メートルの丘陵上に広がっている。約4ヘクタールの広さに、原生林に近い照葉樹林が広がっている。

 やや乾燥した場所に生えるスダジイウラジロガシを中心とした林と、湿地に生えるタブノキを中心とした林という、異なった様相の林が隣り合って茂っているそうだ。

 学術的に貴重な林として、鳥取県指定天然記念物になっている。

意上奴神社社叢

 昨日のNHKスペシャルの「超・進化論」という番組で、植物が化学物質を発して、お互いにコミュニケーションを取ったり、昆虫や鳥にメッセージを送っていることが分ってきたと放送していた。

 また森林の木々が地下に伸ばしている根は、粘菌類によって覆われて連結され、異なる木々がお互いに粘菌を通して養分をやり取りして助け合っていると言っていた。

 植物たちは、外界を敏感に認識してお互い連絡を取り合う生物なのだという認識を新たにした。

 この社叢の植物たちも、私を見てお互い囁きあっているのかも知れない。

 しばらく参道を歩くと、左側に小川が流れている場所に出る。

参道

 川のせせらぎが心地よい。

 地上の生物の中で、地表の面積を圧倒的に占めているのは、植物たちである。植物は地上の王者である。植物は人間がいなくても生きていけるが、人間は植物がなければ生きていけない。

 今この広大な社叢にいる人間は私だけである。ここの主役が私ではなく植物たちであることは明らかだ。

 地上の生物界の主は植物たちなのである。

 更に歩くと、苔むした石段がある。ここを登ると社殿がある。

石段

社殿

 意上奴神社の本殿は、覆屋に覆われている。

狛犬

 本殿は、千鳥破風と唐破風の付いた杮葺きの屋根を持つ流造である。なかなか珍しい様式だ。

本殿正面

蟇股の彫刻

唐破風と奥の千鳥破風

流造の屋根

 意上奴神社の背後に聳える空山には、空山古墳群が広がる。空山は、古くは神の宿る山である神奈備山として崇拝されていたことだろう。

 その手前に鎮座する意上奴神社は、元々は山を拝む場所だったのではないか。

 山に神威を感じていた古の日本人の心性は、現在にも生きながらえている。この気持ちこそが、「日本」と言えるのではないかと思う。