雪見御所旧跡の見学を終え、国道428号線、通称有馬街道を北上し、神戸市北区に入る。
神戸市北区には、あまり知られてはいないが、江戸時代から続く文化が息づいている。
それは、神社で演じられる農村歌舞伎等の演芸である。
丁度1年前に紹介した神戸市北区淡河町北僧尾にある厳島神社農村舞台は、現存する日本最古の農村舞台だが、神戸市北区には、他にも農村舞台を備えた神社が複数存在する。
農村舞台では、歌舞伎、浄瑠璃、能が演じられる。
まず訪れたのは、神戸市北区山田町藍那(あいな)にある藍那八王子宮である。藍那の集落の中にある。
藍那八王子宮の参道手前に崩れかけた蔵がある。一揺れ地震でも来ようものなら、崩れてしまいそうだ。
参道を進むと、行く手に社殿と農村歌舞伎舞台が見えてくる。
しかしこの農村歌舞伎舞台、茅葺の屋根に雑草が生えて、これまた崩れそうな傷みようであった。
この農村歌舞伎舞台は、明治初年に建てられたものである。
江戸時代には、農民による芝居の上演や鑑賞は原則禁止されていたようだが、実際は農村での娯楽として上演されていたようだ。
現在の兵庫県地域は農村歌舞伎が盛んで、その中でも特に神戸市北区山田町地域は盛んだったという。
天保十二年(1841年)から始まった、水野忠邦の天保の改革による風紀引き締め策で閉鎖された大坂の芝居小屋から、職を失った浄瑠璃太夫や人形遣いたちが、山田の地に流れてきたという。このころから明治30年代までが、この地域で農村歌舞伎が最も盛んに行われた時期のようだ。
昭和中頃には、各地の農村歌舞伎も廃絶されたが、平成27年から北区農村歌舞伎上演実行委員会の主催で、農村歌舞伎が再び演じられるようになったそうだ。
しかし、流石にこの藍那八王子宮のぼろぼろの農村舞台では演じられていないだろう。
藍那八王子宮の社殿はささやかなものだが、意外と彫刻が立派であった。
藍那八王子宮から神戸市北区山田町小河にある大歳神社に向かう。
小河大歳神社は、本当にここは神戸市内かと思うほどの、のどかな農村地帯の中にある。
この神社にある農村舞台は、神戸市北区山田町の中では、下谷上の天彦根神社、上谷上の天満神社のものに次ぐ規模を誇り、長殿と呼ばれているという。
この小河大歳神社の農村舞台では、今も農村歌舞伎が演じられているそうだ。
窮屈な暮らしをしていた江戸時代の農民にとって、農村で行われる演劇は、最大の娯楽だったろう。
さて、小河大歳神社から北上して、北区山田町衝原にある箱木千年家を訪れた。
箱木千年家は、現存する日本最古の民家で、14世紀に建てられたものだということが分かっている。国指定重要文化財である。
しかし、最近は閉館しているようで、私が訪れた時も閉館していた。残念である。
箱木千年家は、藤原鎌足の末裔とされる箱木家が居住していた家である。箱木家は、衝原氏とも称し、戦国時代には三木の別所氏の家臣として秀吉軍と戦った。
主家の別所氏が秀吉に敗れてからは、帰農して村の庄屋になったようだ。
今も箱木千年家の東隣には、箱木さんのお宅がある。先祖代々受け継いで、今や日本最古となった家を守っていくのは、重責だろう。
箱木千年家は、入母屋造、茅葺の屋根を持つ。今回は閉館していたが、私は約10年前に箱木千年家の内部を見学したことがある。
床や柱が鉋ではなく打斧で削られていて、鎌倉彫のような素朴な味わいを出していた。
箱木千年家の西側には、ダム湖の衝原湖がある。箱木千年家は、元々は今の衝原湖の湖底に建っていたが、ダムの建設に伴い、昭和52年に現在地に移された。
江戸時代中期には、周囲の家より一際古い民家と見做され、既に千年家という名称で呼ばれていたという。
茅と木材と土で出来た民家が、700年近く生き延びたというのは、それだけで立派なことである。
日本は湿気の多い国で、雨風や地震に起因する災害が何度も襲ってくる。木造建築には過酷な環境だが、世界で最も木造建築が発達している国でもある。
今ある文化財級の木造建築を後世に残すことは、それだけで挑戦的なことだ。