兵庫県丹波市春日町野村にある春日神社のすぐ南側の東西道を少し西に歩くと、古生代の断層面が露出した、野村断層がある。
古生代というと、約5億5千万年前から約2億6千万年の間のことで、恐竜以前の時代である。人間の存在の痕跡である史跡が嗤うべきものと思われるほどの昔だ。
断層の露出の規模は、高さ約30メートル、幅約20メートルである。
説明板によると、この断層はチャートで出来ているという。チャートとは、角岩ともいい、海洋生物の殻や骨が海底に堆積して出来た岩石である。
当時は海中に三葉虫は生息していた。
近づくと、断層を斜めに横切る線がある。太古の生物の化石が、海底に堆積し、途方もない時間をかけて積み重なっていった痕跡なのだろう。
この断層自体は、風雨による浸食で露出したものらしい。
それにしても巨大な岩石だ。地下にはもっと巨大な岩石が広がっているに違いない。
断層の下に岩穴があり、その中に地蔵像が祀られていた。
日本人は、昔から巨大な岩を畏れ敬い、信仰の対象にしてきた。
日本列島の地下には、龍のようにうねる岩盤が埋まっていると思われる。その岩盤が地殻変動の圧力を受けて褶曲したり、浸食作用を受けたりして地上に露出し、日本列島の山々になっている。
日本列島そのものが、太古からの地球の活動の痕跡なのである。
さてこの野村断層の南側の溜池が、静かな美しい溜池だった。丁度紅葉が水面に映って、一幅の画のようだった。
心洗われる風景だった。
さて、野村断層から西に約5キロ行ったところにある曹洞宗の寺院、萬松寺には、南北朝期の宝篋印塔がある。
この寺の縁起を書いた古文書も、明智光秀の黒井城攻めの際に焼失したので、開創のころのことはよく分かっていない。
寺は慶長年間(1596~1615年)に再興され、寛文年間(1661~1673年)に寺号を萬松寺に改めたらしい。
この寺の東側に茶臼山という山がある。寛文年間に、その山にある古城址で、水岸和尚が参禅修行をしていた時、三昧境に入り心路絶した。
その時、和尚の前に金色に輝く五智如来が現れ、「吾は末法乱世に降臨し、庶民の宿業を済度せん」と告げて、鬱蒼たる古松の中に消えた。
夜が明けてから、和尚が村人と共に古松の辺りを探すと、大亀の上に載った仏像を発見した。
和尚は仏像を安置する堂宇を建立し、霊亀萬年の寿を祈って亀命山と号し、幽松千年の翠を願って萬松寺と称したという。
寺の前のイチョウが美しく紅葉していて惹きつけられた。
近くに赤く紅葉した楓もあり、イチョウの葉の黄色の中の点景となっていた。
境内に入ると、所々苔が覆っていた。その緑の中にイチョウの葉が落ちている。
秋は色彩の豊かな季節だ。
さて、本堂に向かって左側に兵庫県指定文化財の宝篋印塔がある。
この宝篋印塔は、元は萬松寺近くの高龍寺廃寺にあったらしいが、近年萬松寺に移されたという。
石英粗面岩質性で、宝珠の先端を損傷する他は完存している。塔高は、約2.2メートルである。
銘文はないが、各部の制作手法から見て、南北朝期の作であるらしい。
史跡巡りを続けると、ガイドブックに載っていない、思いもかけない美しい風景に行き当たることがある。
そういう風景に出会えるのも、史跡巡りの醍醐味である。