生石公園第一駐車場から木製の階段を登って、第五砲台を目指した。
第五砲台は、標高88.5メートルに位置する、第四砲台を小型化したような砲台である。
第五砲台は、5つの砲台の中で最後に作られた砲台である。第一~第四砲台の砲側庫が煉瓦製であるのに比べ、第五砲台の砲側庫は石とコンクリートで作られている。
第五砲台には、小型の速射加農砲が4門据え付けられていた。この砲には、弾丸に薬莢が付いていて、1回の動作で砲弾の装填が出来たため、速射が可能であったという。
第五砲台は、第四砲台と共に、終戦まで現役設備として使われたそうだ。
砲弾が小さかったため、砲側庫も小型である。
上の写真に、コンクリート製の階段が写っているが、階段を降りたところにある横穴が砲側庫である。
階段の上に砲座がある。
砲座は、上の写真のコンクリートと石に囲まれた、地面が一段下がった部分になる。この中に直径2メートルの砲床が2つ設置されていた。
コンクリートの壁中にある蒲鉾型の穴は、一時的に弾薬を置いておく弾室である。一つの砲座に八つの弾室があった。
第五砲台には砲座が二基あったが、一基はほとんど崩壊していた。
第三砲台は、標高105メートルに位置し、8門の加農砲を備えた生石砲台最大の砲台であった。
8門のカノン砲の内4門は、日清戦争の際、大連の老龍頭砲台から戦利品として持ち帰ったもので、36口径24センチメートルの砲であった。
残りの4門は、国産の26口径24センチメートル加農砲であった。
フェンスで囲まれた中に砲側庫や砲座が残されている。
第三砲台は、昭和8年には全て廃止されたそうだ。
第三砲台の中に、観測所跡があった。
観測所は、各砲台の左右両翼に置かれていた。砲台から敵艦までの方向と距離、敵艦の速度を計算し、砲台長が計算に基づいて砲の角度方角を決め、砲手に指示をしていた。
砲台が設置してある標高は分かっているので、観測所から敵艦の喫水線までの直線と水面との角度から、敵艦までの距離を計算した。
ただ潮位によって水面の高さが変わるので、要塞には潮位を測る水尺が備え付けられていた。
専用の計算尺を使って素早く計算し、敵艦までの距離が分かると、砲の方角と角度を決定して弾薬を装填し、敵艦が座標に来るのを待って発射したという。
第三砲台の中には、周囲を煉瓦で囲まれた砲座もあった。
第三砲台と第二砲台の間には展望台があって、そこから紀淡海峡を一望できる。
ここから海を眺めて思ったが、日本が歴史上他国に占領されたことが一度しかないのは、確実に日本列島を取り囲む海のおかげである。