兵庫県丹波篠山市藤坂の集落の西端に、山中に上がっていく舗装路がある。
道の入口が鉄の門扉で閉ざされている。
この門扉を開けて舗装路を上がっていくと、曹洞宗の寺院、林景山長谷(ちょうこく)寺が管理する妙見堂がある。
妙見堂は、室町時代中期に建てられた建物で、現在国指定重要文化財になっている。
門扉を開けると、すぐそこに「廃真如寺妙見堂」と刻まれた石碑が建っている。
文暦元年(1234年)、藤坂地区が開かれた時、地域の氏寺として虚空蔵菩薩を本尊とする真如寺が建立された。
永享五年(1433年)には、その跡地に真言宗の深入寺が建てられた。妙見堂もその頃に建てられたものだという。
舗装路を上がると、神寂びた杉が立ち並ぶ中に、お堂が見えてきた。
ここには2つのお堂が並んでいる。
私は最初、つい手前のお堂が妙見堂だと思い込んだ。しかしよく見ると、手前のお堂は虚空蔵菩薩を祀るお堂だった。
ここに祀られているものは、かつて真如寺、深入寺で祀られていた虚空蔵菩薩像だろう。
深入寺は、文禄年間(1592~1596年)に廃寺となった。虚空蔵菩薩を祀るお堂と妙見堂は、元和元年(1615年)から、長谷寺の管理するところとなった。
虚空蔵菩薩を祀るお堂の脇に覆屋があり、その中に妙見堂がある。
妙見堂に祀られているのは、中国で生まれて日本に伝わった密教の神、妙見大菩薩である。北斗七星を神格化した神様だ。深入寺の鎮守として祀られたものだろう。
妙見堂の手前には両部鳥居があり、その脇にお地蔵様を祀ったお堂がある。神仏習合の姿である。
妙見堂の覆屋は、割と新しい建物である。手前の格子の隙間から妙見堂を見学した。
妙見堂の写真を撮ろうにも、覆屋の格子の隙間から撮るしかない。当然全貌を1枚の写真に収めることは出来ない。
妙見堂は、一間社流造の簡素な建物である。柱や梁は朱色に塗られている。
屋根は長板葺きだというが、屋根まで視界に収めることが出来なかった。
妙見堂は、今から32年前の平成2年に全面的な解体修理が為された。覆屋はその時新築されたものだろう。
妙見堂からは、応永六年(1399年)の納経札が見つかっている。妙見堂は、概ねその時代に建てられたものか。
私が今まで見てきた古い流造の社殿は、大抵室町時代に建立されたものである。
その時代の建物を多く見てくると、ぱっと見て、「あ、室町の建物」と不思議と直感的に分かるようになってきた。史跡めぐりは続けてみるものである。
藤坂の集落には、妙見堂を管理している長谷寺がある。
長谷寺は、今では藤坂地区唯一の寺院である。寺院が減ってくると、残った寺院が廃寺の仏像やお堂を管理するようになる。
今後日本中で廃寺になる寺が増えてくるだろう。廃寺と祀られた仏像をどうしていくかも、今後の日本の仏教界の課題だろう。
本堂の裏手には、遅咲きの桜が満開になっていた。
今年最後に目に収める桜だろう。
藤坂地区から山を挟んだ北側は、京都府である。