梅田春日神社から一度東に戻り、京都府船井郡京丹波町水原の集落内にある曹洞宗の寺院、西方寺に赴いた。
丹波篠山市から京丹波町、福知山市にかけては、曹洞宗の寺院が多い。過去にこの辺りで曹洞宗の教勢の拡大を図った人物がいたのだろう。
西方寺の創建は、応仁二年(1468年)と伝えられている。
西方寺の境内入口の門は、二階に梵鐘が掛かった鐘楼門である。
この鐘楼は、明応二年(1493年)に建立されたものであるという。
この地域が水不足で苦しんだ時に、西方寺の和尚が雨乞いをしたところ、雨が降ったので、住民が感謝の意を込めて寄進した鐘楼らしい。雨乞鐘楼と呼ばれている。
今建っている鐘楼を見ても、そんなに古くは見えない。後世に再建されたものだろう。
鐘楼二階に上る階段が備え付けられている。階段を上ってみた。
二階には梵鐘が掛かっている。梵鐘には古拙な字が彫られている。
梵鐘に刻まれた漢文を読むと、どうやらこの鐘楼の由来を書いているようだ。
末尾に「維時 天明三癸卯年(1783年)十月廿二日」と刻まれている。
天明三年(1783年)に鋳造された梵鐘だが、戦時供出は免れたようだ。
境内の建物はささやかなものである。
本堂には、阿弥陀如来像を祀っているそうだ。
本堂の向かいにある観音堂には、千手観音菩薩立像を祀っているらしい。
境内には、古そうなお地蔵さまが祀ってある。
お地蔵様は、道沿いや寺院の境内の片隅に目立たず立ち続け、黙って世俗の汚れを引き受けて、じっと立っておられる。そして黙って人々を見守っておられる。
私はそんなお地蔵様が大好きだ。これが人の理想像ではないかとも思う。
地蔵堂の近くには、これも古そうな宝篋印塔があった。
造られた年代は分からない。かなり風化が進んでいる。しかしこの宝篋印塔、塔身が基礎の下にある。一度崩れ、組み直した時に組み方を間違えたのか、それとも元々こういうイレギュラーな形に造られたのか、よく分からない。
今日訪れた西方寺は、地方の目立たない小さな寺院である。だがどんな小さな寺院やお堂にも、いわれがあり歴史がある。人々から信仰されてきた経歴がある。
歴史上著名な大寺と無名の小さな寺院との間に価値の高低はない。奈良の大仏と道端の小さなお地蔵様との間に価値の高低はない。
思えばこの考え方は、世間の全てに適用されるような気がする。実は我々の周りのもの全ては、手を合わすべきものなのかも知れない。